カレイド・スコープ
月光のごとき金髪が桜色の頬のまわりで柔らかに揺れる。
長い睫に縁取られた碧い瞳は、見るものの心を惹き付けて止まない輝きに満ちていた。
誂えられた上質のスーツに包まれていても、どこか借り着のような印象。
天使のようなと形容されるに相応しい繊細な容貌は、小柄な当主をより年若く見せている。
その天使は、執務室で先日生じた不良債権の処理について大の男数人と話し合っている真っ最中だ。
モニター画面を操りながらの指示に押され気味な部下たちの様子は、どうにも不自然で、むしろ滑稽ですらある。
「全く…いつまで続くんだ？」
部屋の片隅でヒイロは眉を顰めた。
そもそもカトルは今日から５日間、休暇の筈だ。
ようやく会えたかと思うと急な仕事とやらで待たされるのは珍しくないが、今回の場合、ことはそんなに簡単ではない。
予定していた地球行き定期便の出発時刻はもう過ぎてしまっている。
どの地域もグリニッジ標準時に合わせているコロニーとは違って、あちらには時差というものがあるのだ。
治安の面からいっても、到着が深夜になるのは出来るだけ避けたい。
それがわかっていながら私物を取りにきたカトルをつかまえ議論をふっかけるなど、やり口があまりにも陰険で陰湿だ。
「 」
突然ヒイロの耳に聞き慣れぬ異国の言葉が飛び込んだ。
柔らかいながらもきっぱりと厳しいその口調に、男たちは目を見合わせてうなだれ、すごすごと引下がっていく。
重い木製のドアが静かに閉まるやいなや、カトルは満面に笑みを浮かべ駆け寄ってきた。
「お待たせ。あまり煩いからつい奥の手を使ってしまったよ」
「何て言ったんだ？」
「当主は一体誰なのか、それにどんな意味があるのか考えろ、っていうような意味なんだけどもう少し威圧的な感じかな。
微妙なニュアンスを伝えるにはコロニー共通語じゃ駄目なんだ。あまり権力を振りかざすのは好きじゃないけど、きりがなかったから」
わかっていたはずなのに。
ヒイロはひそかにため息を吐いた。
彼はここＬ−４コロニー圏での最重要ＶＩＰなのだ。
代表としての彼はちょくちょくモニター画面や新聞で見かける。
だが、当主としての姿などこんなことでもなければお目にかかれない。
実際、執務室に来たのは今回が初めてだ。
ヒイロはドーリアン外務次官の護衛という名目で地球・コロニー間を行き来しつつ情報収集を行い、プリベンターでの危険な裏仕事に手を貸している。
コロニー群の中でもＬ４エリアは特に地球圏統一国家に協力的で、そのためカトルとヒイロは何度も顔を合わせていた。
今回、デュオが何度も企画しては挫折し続けてきた「戦友会」に奇跡のようなタイミングでみなの予定が揃った。
ヒイロに護衛の依頼がきたのは、当然の成り行きだったのだが。
「さ、行こうか」
変装も兼ねて銀の伊達眼鏡をかけたカトルは、薄手のトレンチコートを手に取り歩きだした。
「その服装で行くのか？」
「定期便に乗れそうもないとわかった時点で、すぐにウイナー家のシャトルを手配したんだ。
貨物用だから乗り心地がいいとはいえないけど、地球に直行するから最初の予定とほとんどかわらない時間に到着できる。
荷物も乗せるよう頼んでおいたから、あっちで着替えるよ」
あのモニター操作の合間に、そんなことまで済ませていたとは思いもよらなかった。
いや、この手際のよさはかつて戦いの時にも時折見られたものだったか……。
くるくると変わる印象に戸惑いながら、ヒイロは二度目のため息を吐く。
そんな気持ちを知ってか知らずか、若きウイナー家の当主は足取りも軽く、鼻歌混じりで幹部専用エレベーターのボタンを押した。
貨物専用高速艇の船長はにこやかに二人を迎え、操縦室奥の仮眠スペースに案内してくれた。
部屋の半分を占めているソファー兼ベッドの上にはベージュのクッションがふたつ置かれている。
この場にそぐわないフリルと刺繍のついたそれは、二人のために用意されたものだろう。
小さな洗面台とその横に冷蔵庫が備え付けられているが、通信機能は見当らない。
ここまで仕事が追い掛けてくる心配はなさそうだ。
「ウィナー様、狭苦しいところで申し訳ありません。操縦室と化粧室、それにこの部屋以外は全て貨物用でございまして」
「いえ、無理を言ったのはこちらです。突然の申し出を快く承諾してくださりありがとうございます。よろしくお願いします」
当然のように頭を下げる若当主を、クルーたちは気後れしたり戸惑ったりする様子もなく心から歓迎しているようにみえる。
（執務室の一件といい今度といい、カトルのまわりには本当に色々な人間がいるものだな）
そして彼もその場やその人となりに合わせ、それぞれ違った顔で応じている。
幼い頃から当主になるための教育を受けてきたがゆえだろう。
自動扉が軽いエア音とともに閉まると、カトルは小さく息を吐いた。
大きなスーツケースから取り出した普段着に素早く着替え、脱いだ衣服はそのままでソファに崩れ込む。
「…おい？」
「ごめん。眠いんだ…。実のところ、まる二日寝てない…」
大きく息を吐くと、ごそごそとクッションを枕にして目を閉じる。
「小一時間くらいで起きるから…せっかくヒイロと…一緒にいられるのに…悔し…い…けど」
杢グレーのＴシャツにベージュのハーフパンツ。淡いプリントのシャツをはおり横たわるカトルは、まるで子供のようだ。
よくよく見れば、目の周りには薄い暈ができている。眼鏡に 誤魔化され、気付かなかった。
この華奢な体のどこにあれだけの力が潜んでいるのか―――だが、そうでなければガンダムのパイロットなどできはしなかった。
デュオがいつも口にする「戦友会」という言葉の意味を、ヒイロは改めて振り返る。
カトルのように他の３人も、あの戦いの日々に得たものを糧としてそれぞれの役割をこなしているのだろうか。
時代だけではなく、人も変わっていく。
今や何の関係もなくなったはずの他人のことが気になるなど、まったくらしくないのだが。
傍らに置かれたトレンチコートでカトルの細い肩を包んでやりながら、誰より変わったのは自分自身かもしれないとヒイロはひそかに苦笑いを浮かべる……。
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