シャボン玉とんだ

コロニーのような閉鎖空間に植えられるのは主に常緑樹や宿根草で、落葉樹や種などから際限なく増えていく一年草は管理が面倒なため滅多に植えられることはない。
遺伝子操作された品種も多く、緑溢れる公園の景色は地球のそれとは微妙に違っている。

だが、その一角だけは落葉樹の葉が風に揺れ、まさに地球そのものという自然の景色が広がっていた。
L4エリアの首都コロニーの外れに位置する庭園。
そこは今は亡きザィード・ウィナーが最愛の妻カトリーヌのために作ったもので、中央には小さなレンガ造りの別荘がある。


「ここからの景色が僕のお気に入りなんだ、ヒイロ」

木製の手すりにもたれ、カトルはベランダからの景色に視線を巡らす。
久し振りの休日、降り注ぐ日差し、そして愛しい人のそばにいられる幸せ…。
今だけは山積みになった書類ももろもろの懸案事項もすべて棚上げにしてしまおう。
こんな時ですらまとわりついてくるそれらを振り切ろうと息をついたカトルの視界に、きらりと光るものが飛び込んだ。

「えっ？」

突然視界が一面青空に変わり、カトルは目をしばたかせる。
ヒイロがカトルを庇うようにして床に倒れこんだからだ。

「ヒイ…ロ、急に…いったいどうしたの？」
「じっとしていろ。何者かに狙われている可能性がある」
「もしかして…さっきの？」
「何かが光ったかと思うとすぐに消えた。正体が判明するまで動き回るな」

カトルは倒れこんだまま空を見上げ、そうして「ああ、これのこと？」と、ゆっくりとほほ笑む。
小さく透明な玉がいくつか、陽を受けてきらめきながら空を漂っては消えていく。

「もしかして初めて見るの？これはシャボン玉っていうんだ。」
「シャボン玉？　聞いたことがあるような気もするが…」
「石鹸を水に溶かしてストローで吹いて作るんだよ」
「中に毒ガスや有害な菌が仕込まれているかもしれない」
「そうだね。悪意ある人がそうしようと思えば可能だけど、今は大丈夫だよ。
さっき裏庭の方で、甥っことさやか姉さんを見かけたから多分…」

ちいさな子どもとその母親らしき声が重なってそよ風に乗って耳に届いた。
ゆったりと流れる時間と触れ合った箇所から伝わるヒイロのぬくもりが、カトルの身体と心の強張りをゆっくりと溶かしていく。

「界面活性剤を利用して薄い膜を作るのか。洗濯の泡と同じ原理とはいえ単体で…」

覆いかぶさったままぶつぶつと考えを巡らせ始めたヒイをカトルが遮る。

「もう…すぐに難しく考えるんだから。いっそのこと作ってみたら？」
「…いや、今はいい」

コロニーの空は今日も晴れ。二人で横たわったままのんびりと空を眺める。
ゆるやかな人工風に乗った大小いくつものシャボン玉は、緑の切妻屋根まで飛んでははじけた。

「こわれて…消えた…」

ぽつりとヒイロがつぶやく。

「なに…？どうしたの、ヒイロ？」

視点が定まらない瞳に驚いたカトルは慌てて上体を起こした。
最近のヒイロは時々こんな風になる。もちろん二人きりの時だけだが。
ヒイロには幼いころの記憶がほとんどない。ふとしたきっかけで何かを思い出しそうになるのだという。

やがて目が閉じられた。
穏やかな…だけど震える瞼と時折寄せられる眉。
無防備なその姿に見とれながら、カトルは次の動きを待つ。

「駄目か…。だが嫌な感じはしなかった」

蒼い瞳が見開かれ、じっとカトルを見つめる。

「シャボン玉に関係があるんだね。きっと幸せな記憶なんだよ」
「ああ…多分」
「じゃあ、もう一つそんな記憶を増やせるかな。僕たちもシャボン玉を作ってみよう。風に載せて空いっぱいに飛ばすんだ」

勢いよく立ちあがったカトルは、子どものように大きく手を振りながらベランダから身を乗り出した。

「さやか姉さん〜！！シャボン玉液、まだある？わけてもらってもいいかな」

アジア系でありながらもカトルに似た女性は、親指と人差し指で輪を作ってＯＫの合図を送る。

過去はもちろんのこと、二人のこれからも決して平らかな道ではないだろう。
だからこそ。

半ば強引にヒイロの手を取りカトルは駆け出した。
今この時に、幸せな記憶が一つでも多く刻まれるようにと願いながら。




　 　　　　シャボン玉とんだ、屋根までとんだ

　　　　　　 　　　　　屋根まで飛んで、こわれて消えた

　　　　　　　　　 　　　　　　風、風、吹くな　シャボン玉飛ばそ　　



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