なにはともあれ…
朝、目が覚めると隣にカトルが寝ていた。
一瞬頭が真っ白になる。
身に覚えがない…つまりヤッテナイ、わけで。
いや、それ以前に二人はそこまでの関係ではない。いわゆる友人以上、恋人未満というところか。
そして…一体今、何故彼がここにいるのか、それが最大の問題なのだ。
寝惚けているのかと目を擦り、あらためて傍らの存在をよくよく確かめてみれば、それはカトルによく似た美少女だった。
年のころは１０か１１、眠っているから瞳の色はわからない。
だが、髪の色やミルク色の肌、やや薄い唇も彼にうりふたつ。
違うところと言えば肩より少し下で切り揃えられた髪と年齢相応にふっくらとした丸い頬、それにレースで飾られた華やかな衣服くらいだ。
俺はのろのろと体を起こし、あたりを見まわした。―――やはりいつものトレーラーハウスだ。
ただ、困ったことにどうしてここに戻ったのか、記憶がすっぽり抜け落ちている。
確か昨夜は、Ｌ４の辺境コロニーで公演を行ない、その後土地の祭りに団員の代表として参加。
歓迎パーティーとやらに引っ張り出されてキャスリンと共にナイフ投げを披露し、その後は……。深く眠る少女の姿を横目で見ながら、深い溜息をつく。
頭の芯がとてつもなく重い。少しでも揺さぶろうもののなら激しい頭痛におそわれるに違いない。
多分これは、いや絶対に二日酔いだ。
勧められるまま飲んだグラスの中身をよく確かめなかった、俺が悪いのか。まわらない頭であれこれと考えて見るものの、この状況は皆目説明がつかない。
とりあえず水でも飲もうかと枕もとの水差しに手をのばした途端、ノックと同時に賑やかな声が響き渡った。
「おはよ〜っ！トロワ。朝食持ってきたわ。全くトロワったら、お酒は全く駄目なのに昨日はどうしてあんなに飲んだの？ 気分はどう？食べられる？」
いつものことだが朝っぱらからハイテンション、こんな時彼女の声は暴力と紙一重だ。
抗議をする気力もないままおもむろにドアを開けると、いきなり目の前にトレイが差し出された。
いつもの具沢山のスープとパンの隣に、花柄の小ぶりなミルクカップが置かれている。「こっちのミルクはあの子に飲ませてあげてね。多分私じゃ駄目だろうし。それにしてもあなたって不思議に動物に懐かれるけど、まさかプランツにまで懐かれるとはおもわなかったわ」
「プランツ…？」
「覚えてないでしょうけど、あの子昨夜からあなたにベッタリなの。どうしても離れなくて仕方なくあなたのベッドにいれたってわけ」この騒ぎで目を覚ました少女は、寝惚けまなこのまま毛布をはねのけ、ベッドの上にちょこんと座っている。
なるべく直視しないように…と思いつつ、つい確かめてしまった瞳の色はやはりカトルと同じ海の碧。
乱れたドレスの裾から覗くミルク色の膝小僧は絹のように滑らかで、金色に煌く髪には寝癖が全くついていない。
完璧という言葉がふさわしいこの容姿は、まさしくプランツのものだ。
……ひとまず納得して見るものの、どうにもおかしい。
そもそも何故ここにプランツがいるのか、それが一番の疑問だ。
野良猫や迷い猫は聞いた事があるが、野良プランツや迷いプランツなど聞いた事もない。
入念な世話と深い愛情がないとすぐに枯れてしまう、デリケートな存在――――それがプランツドールというものなのだ。
波長の合う人間といえど、初対面の相手と同じベッドで眠ってしまうなどありえないだろうに。「舞台の方は何とかするから、持ち主が迎えに来るまで世話をしてあげて。事情があって今夜まで預かる事になってるから」
事情？預かる？
説明を求めようと口を開きかけた俺を視線で制し、キャスリンはトレイをベッドサイドのテーブルに置くとそそくさと出ていった。
訳のわからないまま、またプランツと二人きり。
とりあえず朝食をとやらねばとカップを取り上げ、小さな手に持たせようとするが、何度繰り返しても首を振るばかりだ。
「もしかしてこれでは…熱いのか？」
指先に伝わる温度はそうでもなさそうだ。ほんの少し口に含んでみるがやはり問題はない……そう、ないのだが。碧い目を見開くやいなや、少女ははじかれたように背伸びをし俺の顔を覗きこんでくる。
まるでキスをねだるようなしぐさにうろたえていると、唇についたミルクをまるで猫のようにぺろりと舐めた。これは……これはもしかして。
口移しでミルクを飲ませろ、ということなのだろうか？
午前８時、朝食。１２時３０分、昼食。
このプランツは口移しでしかミルクを飲まない。
それが彼女にとってあたりまえである以上、そうやって食事をさせるしかない。
ひさしく忘れていた『心を殺す』という作業に専念し、二度はなんとか乗りきった。そして夜７時。
夕食のカップを手にした俺は、憔悴しきっていた。
いったい持ち主はどうやって、どんなつもりで育てていたのだろう。口移しでないとミルクを飲まないプランツなど聞いた事もない。カトルそっくりのあどけない顔でミルクをねだる。
なるべくドレスや髪だけを見るようにし、これはカトルではない、カトルではないのだと自分に言い聞かせても、そろそろ理性は極限状態だ。もしプランツを押し倒してしまったらいったいどうなるのだろう。プランツは形の上ではいわゆる女性で、ということは、ということは…。
「なにぶつぶつ言ってるの、トロワ」
突然声を掛けられ、俺の混乱は頂点に達した。
話すプランツなんてものすごくレアなのでは……そんなレアもの(？)に懐かれ、そしてミルクを…ミルクを…！？！
……と思いきや、それは生身の…いや、本物のカトルだった。
身につけているのはフリルのついた衣装ではなく、仕立ての良い濃紺のスーツ。
アタッシュケースを抱えているところを見ると、仕事の帰りに立ち寄ったのだろう。
まっすぐな眼差しには、プランツのやわらかな碧とは違う強い意思と光が煌いている。「カトル！？ …なぜここに？」
「ありがとう。君が世話をしてくれたんだってね。やっぱりわかるのかな、君が僕の大切な人だって」
はにかみながら笑ったカトルは、固まってしまった俺の手からカップを取り上げた。「…お前のプランツだったのか？ それにしても何だってこんなお前そっくりな…」
幸いと言うべきか残念ながらと言うべきか。
この想像の範疇を超えた事態のせいで、このままカトルを押し倒さずにすんだ。「姉さんの１人が僕に似ているからって面白がってつれてきたんだ。でも、本社ビルに僕が詰めている間は世話を押し付けられて困ってて。
お風呂とか着替えは僕付きの世話係がやっても大丈夫なんだけど、食事をさせる人は選ぶからね。
で、昨夜はどうしても替わりの人が見つからなくて、もしかしてトロワならと思って…あれ？」カップを手渡そうとして、押し戻される。そんなやりとりを何度か繰り返した後、カトルは困ったように顔を上げた。
「たった一日で『君じゃないと駄目』になったのかな。でも、君を世話係として雇うわけにもいかないし、かといってここにおくのも無理だよね。
トロワ、君が飲ませてくれる？ なにかヒントがあるかもしれない」差し出されたカップを渋々受け取れば、フリルを揺らしながら彼女は嬉々として寄ってくる。
ええい！ままよっ！！！！
俺はカトル…じゃなかった、プランツの頤を掴むとミルクを口に含んだ。
「あのさ、トロワ」
暫しの沈黙のあと、カトルは恐る恐る口を開いた。「何も言うな。俺の勘違いだったのだろうが、とにかく最初はああしなくちゃミルクを飲まなかったんだからな」
「で、ずっとそうやって飲ませたわけ？」
「口移しでしか飲まないのなら仕方がない、持ち主は一体どんな育て方をしたんだろうとそればかり考えてた」「たまたま…気に入ったんだろうね。僕がやっても飲んだから連れて帰れるけど、人には見せられないよ、そんな食事風景」
そうなのだ、俺が飲ませるのを見た途端、カトルはつかつかと歩み寄って手を伸ばしカップを取り上げた。
不満げに見上げるプランツの手を取り引き寄せると、俺がやったようにミルクを含み、そして……
カトルがカトルそっくりの少女に口移しでミルクを飲ませる……の図は、あまりにもシュールで直視できなかったのだが。
やがてアタッシュケースから取り出されたテディベアを受け取ると、プランツは迎えが来て安心したのか夢中で遊び始めた。
「戻ったらなんとかカップで飲むようにしむけてみるよ。お気に入りのボーンチャイナもあることだし。だけどね、トロワ」
俯きながら、カトルは消え入るような声で続けた。「いくら似てるからって、あの子は僕じゃないでしょう？」
言うなりそばに擦り寄ってくる。
これは……つまり…つまり…。妬いてくれた、ということなんだろうな。躊躇いながら白い顎ににそっと指をかけると、カトルは耳まで赤くなりながら顔を上げ……。
なにはともあれプランツのおかげで、俺とカトルは「友人以上・恋人未満」からめでたく「恋人同士」になれたのだった。