悪趣味、という言葉はこういうときに使うのだ…と、しみじみ思う。
資料に目を通している間、二人は五飛の足元でひそひそ話をするように顔を寄せあい、何度も視線を投げかけてくる。
落ち着かないままどうにか読みおわると、今度は何かもめている様子だ。
そしてついに抱きつこうとするカトル――もといカトル似のプランツを、眉を寄せた黒髪の少女が乱暴にふりほどいてしまった。「おやおや…喧嘩とは珍しいね、二人とも。いったいどうしたのかな？」
李家の当主は二人の間に割って入ると、左腕でカトル(五飛の目には既にそうとし か見えていない)を抱き上げる。
そうして、空いているほうの腕でもう一方の少女を捕まえようとするが、するりと逃げ出してしまった。
「そちらの子はどうしても私に懐いてくれないんだ」
そういいながらカトル(…似のプランツ)に頬摺りをしようとするが、身を捩って首を振る。逃げ出すほどではない程度、といったところだろうか。
「それでも金髪のこの子と離れ難かったらしい。幸いなことに二人とも世話係の彼女に心を開いてくれたので、一緒に連れて帰ったのだよ」男の話を聞いているうちに、厭な予感が五飛の背を這い上ってきた。
この男は、今まで一度も少女達の名を呼んでいない。手に入れたプランツに名付けないなどありえないだろうに。
だが、それだけはどうしても尋ねてはいけない気がする。
もうこれ以上の面倒ごとは遠慮したい、とにかく終わらせここを立ち去らねば。逸る心をなだめつつ、どうにか結びの挨拶を紡ぎだす。
「ご協力ありがとうございます。ひとまずこれで問題はないと思われます。正式な書類については後ほど担当の者がご連絡いたしますので……」
言い終わらないうちにプラチナブロンドと花が腕の中に飛び込んできた。
羽のように軽いのに、姿かたちや温もりは全く人間と変わらない。碧い瞳は大きく見開かれ、じっとこちらを凝視している。睫には溢れんばかりのに涙を溜め、そして。
「お…い」
思わず頬に指を伸ばすと、五飛の手のひらにいくつかのきらめきが零れ落ちた。
その様子を見た当主は、嬉しそうに目を細める。「天国の涙ですね。どうやらあなたは選ばれた方らしい」
「天国…？」
雫だと思われていたそれは、いつの間にか宝石のように光輝く玉となっていた。
「プランツの涙は奇跡だともいわれており、それゆえ天国の涙と呼ばれます。遠慮なくお持ち帰りください。それはあなたのために流されたものなのですから」
気がつけば、自分によく似た少女が手を差し伸べている。
カトル(…似のプランツ)は飛び降りるようにして腕から抜け出、迎えの少女のほうに駆けよった。
幸せそうに目を細め、髪が乱れるのもかまわずしがみつく。至福の笑みを浮かべた瞳には、もはや黒髪の少女しか映っていなかった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ふ〜ん、そんなものが……。相変わらずだな、あの人も」
根回しの礼を告げにウィナー家に立ち寄り、通された応接室で李家のプランツのことを（何があったかは端折って）告げると、カトルは苦笑いを浮かべる。
それから五飛の手の中の玉をじっと見つめた。
吸い込まれそうなほどに深い漆黒の輝き。だがその濡れたような艶やかさには、幾つもの色を含んでいるようにも見える。
「……話には聞いていたけど、見るのは初めてだよ。不思議だね」
五飛の眉がぴくりと上がる。
「あの人形が欲しいのか？」
「まさか！とてもじゃないけど面倒見切れないよ。でも君に似ているプランツには一度会ってみたいな。近いうちに李氏と会う予定があるといいんだけど」
ふと何かを思い出したように顔を上げたカトルは、五飛をじっと見つめた。
「あのさ、五飛。天国の涙はその瞬間に見ていたものの色を映すっていうよ。この色、まるで君の瞳のようだ。君がそのプランツを泣かせたわけ？」
「なぜ俺がそんなことをする！婦女子を泣かせるようなことなどしない」
「ふぅ〜ん。じゃあ何があったかは聞かないでおくけどさ」
そういうと再び玉に視線を戻し、何度も首をひねる。
「ねえ、これは間違いなく本物の『天国の涙』なんだよね」
「ああ、この目でその瞬間を見たのだからな」
カトルは小さなため息を吐くと、真顔で言葉を継いだ。
「五飛。これは凄いことだよ。この石は一粒でプランツ本体よりも高い値がつくほど稀少なんだ。なかでも黒いものはレア中のレア、それが５つもあるってことはおそらく……」
口にした金額は李家の寄付の額よりもはるかに多い。
「そんなにするものなのか！？」
無造作にポケットに押し込んでは何度も鷲掴みにした経緯を思い、五飛は複雑な気分になる。
「これも寄付のつもりかな」
「さあな。これはお前にやる、好きにしろ。ウィナー家ならどうとでもできるだろう。俺がこんなに高価なものを持っていても仕方がない」
白い手の中に無造作に玉を押し込むと、カトルの顔がぱっと輝いた。
「本当？ じゃあこの一番小さいのだけ僕のものにしてもいい？ せっかく君がくれたんだから。残りはウィナー家系列の宝石商で扱ってもらって代金はプリベンターに寄付するよ」
不自然なまでにはしゃぐ笑顔に、五飛は思い切って手を差し伸べた。
導かれるまま、カトルは腕の中に納まり、気恥ずかしそうにうつむく。
「会いにきてくれてありがとう。会いたかった……もう、ずっとずっと…」
白い頬に、雫が次々と流れていく。
触れたとたんすぐに崩れて広がるきらめきは、確かに五飛にとって何よりも大切な「天国の涙」だった。