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秋の日に

僕はどんどん贅沢になっていく。 晩秋の地球で、休暇を一緒に過ごす夢のような時間。
君の蒼い瞳がそばにある、それだけで十分だったはずなのに。

事の起こりは先日のデュオからの通信だった。
L2にトロワたちのサーカスがやってきた時キャスリンさんから聞いたという話が、何時までも頭から離れないのだ。

「ヒイロがサーカスにいた時期があったんだって。ヒイロが大怪我したときにかくまったのがトロワで。
ほら、絶対あいつ死んだって思ったあの時だよ。長いこと目を覚まさなくてさ……」

きりがないから話は端折るけど、なんでもその時トロワが声を出して笑ったことがあるというのだ。
しかもヒイロが一緒の時に。

………一体何を話していたんだろうか？

トロワの笑い声も気になると言えば気になる。でも少なくとも一度はそういうことがあったわけで。
記憶を失ってたときもらしくない顔は何度も見たから(不謹慎かな？)なんとなく想像できる。

でもヒイロの笑い声を僕はまだ一度も聞いたことがない。
多分デュオもだろう。

ホテルの近くにある大きな公園は迷ってしまいそうなほどに広くまるで本物の森のようだ。
コロニーではあり得ない広さに驚いて散策にやってきた。でもヒイロはいつものように無愛想で無表情だ。
少しはリラックスできてる……のかな。

僅かに葉を残した落葉樹の枝の向こうは抜けるような青空で、この季節にしては暖かい。
薄手のコートもマフラーもホテルに置いてきて正解だった。

「もう少し早ければ見事な紅葉が見られたんだろうなあ。でもまだ少し残ってるね、赤いのや黄色い葉」

管理の面倒な落葉樹はコロニーではほとんど見られない。 そしてなんといっても地球には「四季」がある。
盛りを過ぎた野菊やすっかり色を失った夏草も珍しく、来るたび違う表情を見せる地球の景色はいつも僕の心を惹きつけてやまない。

あてもなく歩いて気がつけばもう30分も過ぎている。
一緒になって立ち止まってくれてはいるものの、そろそろヒイロは退屈しているころだろう。

「ねえヒイロ。もしかして……あれ？何見てるの？」

空を仰ぐヒイロの視線の先には一羽の鳥の姿があった。
低く鋭い鳴き声はお世辞にもかわいいとはいえないが、オレンジ色の腹と長い尾羽は愛らしい。

「……飛ぶ」

ぼそりとヒイロがつぶやいた瞬間、羽ばたく音とともに鳥はどこかへ飛び去っていく。
そういえば彼のガンダムにも翼があった。だから鳥が気になったのかもしれない。

それからしばらく二人で鳥を探してみたものの、声はすれども姿は見えず。
ただ厚かましいカラスだけが騒がしく鳴きながら僕らの視界を横切る。

ふと目の前に小さな生き物が飛び込んできて、ヒイロの肩先にとまった。
小さなそれはおそらく甲虫の一種で黒くて赤い点が幾つか……。

「これ、たしかテントウ虫だ、でも子供の頃よく絵本などで見かけたのとは違うみたい。黒に赤い点？」

「危険はないのか？」

「大丈夫、おとなしいよ。でも秋に見かけるなんて……今日は暖かいからかな？ほら、こっちにおいで」

伸ばした手に這い上ってきたそれはすぐに飛び立ち,戻ってきたかと思うと僕の鼻の頭に止まった。

「！？！」

目を見開いたままのヒイロと僕は顔を見合わせたまま。
払いのけていいものか迷っている僕と、鳩が豆鉄砲食らったような顔をしているヒイロの視線が重なる。
無防備な見慣れない表情に目を見張ったその時。

「ぷっ……」

吹き出したかと思うと、ヒイロは声を立てて笑った。

「あはっ………ははは…！！」

軽くて…青空にふわりと広がるような明るい声がゆるやかな風に乗って僕の耳朶を撫でていく。
顔を背けるようにして口元を押さえているうえ目元は髪で隠れているから、どんな顔をしているのかみえなくてやきもきする。

でもそうか。うん、ヒイロってこんな風に笑うんだ…。
つられて笑い出した僕から、テントウ虫はお役御免とばかりに飛び立っていった。

公園を一歩出れば町はありふれた都会の顔をしていて、少し肌寒くなってきた風に押されるように僕らはホテルへと向かう。

名残惜しさに振り向いたとたん、急に立ち止まったヒイロの背中にぶつかった。

「なに？　どうしたの？」

ヒイロは小銭を取り出して、屋台で茶色い焼き菓子のようなものを受け取っている。
無言のまま差しされたそれを受け取ってから側ののぼり見ると、「たい焼き」とあった。

「L１でも人気の菓子だ、食ってみろ」

渡されたそれは魚の形をしている。
「たい」ってもしかして、あの魚の鯛？
しかもころんとした形とまあるい目はとてもかわいい。はたして頭から食べるべきかしっぽから食べるべきか。

「ねえヒイロ。これって魚のすり身とかが入ってるの？」

甘い匂いとは不似合いな気がして首をひねると、ヒイロはまた口元を押さえている。
もしかして？もしかしてまた？
わくわくしながら僕は言葉を継いだ。

「あと、食べるときにルールなんてあるのかな？とっちから食べてもかわいそうな気がして迷うんだけど」

こんどこそ！僕はヒイロの正面に回り込んで顔をのぞき込む。

「うっく…は…ははっ、どこからでも……好きなように食べたらいい。中には餡が入ってる、豆を甘く煮てつぶしたもので魚は……」

何がそんなにおかしいのか僕にはわからない。
でも笑いをこらえながら話す声はとても優しく、笑顔は秋の日差しに溶けてしまいそうなほどに眩しかった。

あの日ヒイロはたまたま笑いのハードルが低かったのだろうか。
笑い声を聞いたのはあれきりだ。

でも僕はきっと一生忘れない。
鳥の羽ばたき、小さなテントウ虫、たい焼の甘さも。

そしてこれから僕はもっともっと贅沢になることに決めた。
まだ見たことのないヒイロの表情を、これからもずっと探していくんだ。

あとがき：久しぶりのせいか延々続く推敲地獄に苦しみました。滑り込みセーフ？
　　　　　　鳥はモズでテントウ虫はナミテントウ。小さなこだわりです。(笑)