Just as I am
それはオフの前日だったり、激しい戦闘が終わり、一休みした後だったり。
ルームメイトのいない僕の部屋に入ってくる彼の一挙一動が妙にぎこちない、そんなとき。
「ニコ…ル？」
掠れた柔らかな声、ほんの少し語尾が上がって。
いつもと違う呼びかけは、ソレの合図。
これから始まる濃密な時間への不安と期待で胸が苦しくなるけれど。
おずおずと伸ばした手は即座に引き寄せられ、こわれるままイザークの腕にすっぽりと収まる。
ちりちりと、何かが剥がれていく感触が体の熱を呼び覚ます。
彼の唇が、細い指先が、銀の髪が肌に触れるたびに、少しずつ少しずつ。
やがて身に纏っていたもの…保身とか意地とか見栄とかを全て削ぎ落とし。
僕は僕を脱ぎ捨てる。
◇ ◇ ◇
親子にも相性というものはあるのだと思う。どんなに幼くても。
母が僕のために選んでくれたもの……たとえば灰色のテディベアや紺色のダッフルコート、ピアノ教室にリトミック。
レタスたっぷりのハムサンド、苺のチョコレートケーキ、ブルーベリーのヨーグルトだってみんな好きだった。
嫌だと駄々をこねた記憶は一度もない。
やがて僕は育っていくにつれ、人の思惑とかそういったものに人一倍敏感で勘が働くようになった。
どれを選べば、何を望めばまわりの大人たちが喜ぶのかがわかってしまう、 可愛げのない子ども。
僕は色々な面においてあまりこだわる性格ではなかったから、大きく僕の意にそぐわないものではない限り全てそれを受け入れてきた。
髪型も少し伸ばすのが流行っていたけれど、父がくせ毛の僕には似合わないというから短いままで。
そして周りの大人たちは、必ず僕をこう評価する。
「ニコルは本当に素直ないい子ね」
誉められるとわかっていれば、誰だって即座に笑顔で頷ける。
それがどれだけ狡いことなのか、薄々気が付いてはいた。
でも、誰にも僕を責める権利などないのだ。
僕は決して自分に嘘をついたり無理をしてきたわけではないのだから。
だから僕がアカデミーに入学して従軍すると決めたとき、正直なところ少し怖かった。
僕がピアニストになることをずっと望んでいた母。
彼女は泣くだろうか。
それとも？
「もう、決めたんです。僕はプラントを守りたい」
「ピアノをやめる事、後悔しない？」
「…はい」
「そう。あなたの望むようになさい」
あの短いやりとりの向こうにあるもの・・・・彼女がどれだけ無理をしていたのか、わかってはいたけれど。
僕は見えないふりをした。見たくなかった。
多分これが僕の最後の我侭になる、そんな予感がしたから。
◇ ◇ ◇
ゆるやかに染み込む肌の温もりが身体の奥底に潜んだ欲望を暴いていく。
自分が自分でなくなる、それが不安で心地よい。
息苦しいほどの悦び。泣きたくなるほどの幸せ。
僕が、彼がここにいることのささやかな証。
手を離せば何もかもを失ってしまいそうな気がして必死で彼にしがみつく。
望むものを望んで。望まれることを受けとめる。
どうしてこんなに。どうして今だけ。
僕は自由になれるの………？
喉が渇く。腰が抜けるようにだるい…。
そのためではない個所の行為はやはり負担がかかるのか、いつも少しの間起き上がれない。どれだけ声を出しただろう。どんな言葉を口走ったのだろう。
幾度となく繰り返した行為なのにやはり照れくさく、僕は枕に顔を埋めた。
でもイザークはまるで頓着しない。
合理性第一といわんばかりに手早く始末を終え、冷蔵庫に向かう。
「…いつものがない」
炭酸入りもコーヒーも駄目な彼はきまってレモネードを飲むから、いつも切らさないようにしていたのだけど。
「見当たらない？ 白い缶で黄色い文字の…」
皆まで言い終わらないうちに、不満げな声が上がった。
「これは水臭い。軍の売店にあるうちでは青と銀のが一番ましなんだ」あまりにもらしくて、僕は笑いをかみ殺し枕の陰からそっと彼を盗み見る。
ぶんっと銀の髪を揺らし、イザークはミネラルウォーターの瓶を握ってこちらを向いた。｢おまえは？」
「僕はなんでもいいです。イザークが飲まないのならそのレモネード、僕が…」
言い終わらないうちに、細い眉がぴくりと動く。
「なんだ、それは。嫌味か？」
「違います。だってそこは僕の冷蔵庫なんだから、自分の嫌いなものなんか入れるはずないでしょう？」
「ふんっ！ おまえの好みには統一性というものがないな」確かに…。
コーヒーにコーラ、ジンジャーエール、スポーツドリンク。ミルクティーやオレンジジュースなんかも入っている。
何故だか僕はそういった類をよくもらう。
ノンアルコールで後味がべたべたしなければどれでも飲めるから、冷蔵庫に押し込んでそのままになっているのだけれど。顔を上げるなり、白い缶が僕をめがけて飛んできた。
慌てて手を伸ばし受けとめようとするものの、横になったままではどうにも届かない。
リノリウムの床に落ちた缶はごとんと鈍い音を立て、ベッドの下に転がっていく。｢…！？ もしかしておまえ、本当に…？」
呆れたような表情になったかと思うと、部屋一杯に怒鳴り声が響いた。
「この馬鹿野郎っ！ 辛いなら辛いとちゃんと言え！無理をさせるつもりはないんだからなっ！！」
暫しの沈黙…そして部屋の空気が奇妙に歪む。きょとんとした僕と、険しい顔をしたイザークと。
「してません」
｢…！？」
「無理なんてしてません。辛くなんかないです」
おっとり応えてから体を起こし、ベッドに座る。
イザークは缶を拾おうとベッドの下に手に伸ばした。
さらりと流れた髪の隙間から覗く白い襟足に微かな爪あと。
気付かないうちに僕が付けた…のかな、軍服の襟で隠れるかどうかは微妙なところだろう。でもそれは内緒のまま、隣に腰を下ろした彼の肩に額を押し付けた。
「本当に本当です。だけどこれだけはどうにもならなくて………」
頬が熱くなるのがわかるけど、これもどうにもならない。
うつむいたイザークにちらりと視線を走らせると、彼の頬もほんのり赤みを帯びていた。｢それは…こうなるとわかっているけど…と、つまりはそういうことなんだな」
「……はい」答えるなりぐいっと後頭部を押され、イザークの膝にうつ伏せるかたちになる。
「馬鹿が…」
「はい」
「訓練や戦闘に支障が出たらどうする気だ」
｢はい」
｢ちょっとは自制しろ」
「はい」
｢はいはいって、おまえ。考えて物を言っているか？」
「…はい」頭上から降ってくる言葉が妙にくすぐったくて僕はそっと目を閉じた。
イザーク、気がついていますか？
こうしてあなたと2人きりの時だけ、僕が僕でいられるということに。
【あとがき、というかよた話】
この話の私的萌えポイントその1、紺色のダッフルコートを着るチビニコル。もちろん灰色のテディベアを抱いて。うわあ〜♪可愛いだろうなあ。
その２、クールなふりを装っているけれどＨの最中にニコルの身体を気遣えるほど余裕がないイザーク。そのくせ男であるニコルを抱く、ということに少し遠慮（と僅かばかりの罪悪感？）があるようで。愛い奴だ♪(爆)