キスマーク顛末記
｢もう、帰らなくちゃならないのかい？」
カトルは、眠い目をこすりながらシャツに袖を通した。
｢仕方ねえよ。本当は、昨日事務所に戻るつもりだったんだしな｣
慣れた手つきでデュオはお下げを編みなおしていく。
｢それにしても、なにもこんな朝早く…」
｢七時過ぎるとスペースポートは追加料金取られるんだ。まったく、貧乏会社は辛いったら。なんならそのまま寝てろ。どうせ、おまえ又、ハードスケジュールなんだろう？」
｢仕方ないですね。でも、見送りくらいはさせてください。あ、それから、次はもっとゆっくり訪ねてきてくださいよ。そのときはちゃんと休みを取っておきます｣
｢了解。でも、あの忙しさで休めるのか？ あんまり無理するな。いくら当主といっても、まだ十七なんだぜ｣
｢ありがとう、デュオ。大丈夫です。出来ることから少しずつ、覚えるようにしていますから」
｢その言葉、一応信用しとこう。さて、行くとするか｣
久しぶりの友人の来訪だったが、カトルには、ゆっくり話をする暇などない。仕事が一段落ついたのが夜の十時。それから二人は、明け方近くまで話しこんだ後、ほんの少し眠っただけだった。
それでもなんとか平気でいられるのは、やはり若さゆえだろう。
スペースポートまでのわずかな時間も、二人の会話は尽きることがなかった。周りの人達の様子がおかしい…とカトルが気づいたのは、その日の午後だった。
皆、上手に取り繕おうとしているのだが、時折、好奇に満ちた視線が向けられたり、ひそひそと女子社員が内緒話をしているのが目に付く。しかも、その噂は、どうやらカトル自身のことらしいので、ますます訳がわからなくなる。
もちろん、彼にはまったく身に覚えがなかった。
(デュオが何かやらかしたのかな？)
そう考えてもみたが、どうも腑に落ちない。夕方のコロニー会議を控えて、カトルは自室で仮眠を取っていた。すると、ラシードがやってきて、
｢これをお使いになってください｣ と、救急絆創膏を差し出す。
わざわざこんなところまで来なくても、どこでだって渡せた筈なのに。それにしても怪我なんてしていない筈…？と、カトルが不思議に思っていると、ラシードは目を逸らすようにして、
｢妙なことになっています。ここは地球ではないので、虫に刺されたという言い訳も出来ません」
と、ぼそぼそと話し出す。
｢何のことだい、ラシード？」
｢鏡をご覧になってくだされば分かります」
そう言われて、ひょいと覗きこむと、首筋に二つ、赤い痣がある。
「あれ？ こんなもの、いつ付いたんだろう。これって、まるで…」
そう言いかけた当主の言葉をさえぎって、ラシードは言いにくそうにこう続けた。
｢昨日来られたお客様は、実はカトル様の恋人だ…という噂が広がりつつあります。無論、私はそんな噂は信じておりませんが、それはちょっとまずいですね。一体どうされたのですか？｣
｢どうと言われても僕にはさっぱり…。皆が想像しているような理由じゃないとは断言できますが。でも、隠したりすると、かえって疑われることになるのでは？」
｢ですが…。この後の議会のこともありますし…｣
言いよどむ彼の様子に、カトルは、事がかなり深刻になっていると悟った。
「わかりました。目立たなくする方法を考えてみましょう。これも受け取っておきます。気を使わせてすみません、ラシード」
同じ頃、デュオも同じ理由でヒルデに詰め寄られていた。
｢予定より、１日遅れて帰ってきたかと思えば、一体どこでそんなことしてきたの。次の仕事が控えているのよ！｣
｢どこって、昨日はカトルのところに寄ってただけだぜ。地球の土産をあいつに渡したかったからな。で、盛り上がっちゃって、一晩中話しこんだけど…」
｢いくら女の子みたいに可愛いからって、カトル君に手を出すとは思わなかったわ｣
「お、おい、ヒルデ。そりゃあないだろう？ あいつは親友だぜ。どこの誰が、友達にそういうことするんだ？｣
そう言うと、ヒルデを睨み付けた。
｢ご…ごめん、デュオ」
始終笑顔を絶やさない彼だが、いったん怒ると迫力がある。
（わかってる､わかってるわよ、その位）
ヒルデは書類を整理するふりをしながら、デュオに背を向けた。
(じゃあ、そのキスマークはどうしたの。どう見ても、昨日付けられましたって感じだわ。一体誰となの？ デュオが嘘をつくなんて……。そうよね、私もただの友達。友達にはそんなことしない。あたしがどんなに心配していたかなんて、あんたはきっと、わかっちゃいないんだわ)
涙が溢れてくる。だが、デュオにそんな顔は、決して見せられない。
｢さあ、次の仕事は、わざわざデュオを指名してきてるんだから頑張ってね。残念だけど、今日はおやすみはなし。あ、配達記録書いておくの、今度こそ忘れないでよ｣
気丈と言ってしまえばそれまでだが、彼女は損な性分には違いない。
「はいよ。ああ？ひょっとしたら、こりゃあ」
何か考えついた様子の彼は、そんなヒルデをまるで理解していないように見える。
「やれやれ……」
服を脱いで、全身を隈なく調べてみたカトルはそっと溜息をついた。痣は主に胸元と首筋に出ていて、数は十あまり。本物のキスマークもこんな風なんだろうか……。想像してしまったカトルは、思わず赤面していた。
（忙しすぎて、女の子にはまるで縁がないというのに。寄りによって、どうして男のデュオと噂になってしまうんだろう。ひょっとして、何かの病気の兆候じゃないだろうか）
だが、主治医に相談している暇はなく、カトルはしぶしぶ絆創膏を首筋に貼り付けた。
「これじゃあ、余計疑われるような気がするけどなあ」
ぶつぶつ言いながら、噂の主は、仕事へ出かけていった。
議会が進むにつれ、カトルの体調は、急激に悪くなっていった。眩暈がし始め、軽い吐き気ももよおしてくる。
(やっぱり、病気だったのか……）
どうやら熱も出てきたようで、背中に悪寒が走り座っているのも辛い。
(そういえば一時期コロニーで大流行し、大勢の死者を出したＬー１ＨＦＶ型肝炎。あの病気の初期症状が、確かこんなだった。まさか……？）
議会が終わり次第医者が呼ばれ、カトルは入院することになった。
その頃、デュオも同じ症状で苦しんでいた。だが、彼のほうは様子が違っていた。
｢同じような症状の奴を、地球で何人も見てきたからな。だが、コロニーに持ち込んだのは俺のミスだ」
高熱が出ているというのに、相変わらず彼の口は滑らかである。
｢なあに？ それどういうことなの？」
デュオは仕事場で倒れた。必然的に、ヒルデが世話をすることになる。
「地球で今流行ってるんだ。潜伏期間は半日から三日。首から胸にかけて赤斑が出て、それから発熱。普通、二日で解熱。免疫が出来るから、かかるのは一度きりっていう新種の風邪だ。心配しなくても、明後日にはすっかり良くなっているさ。あ、それから、カトルにうつしているかもしれないから、大至急連絡を取ってくれ。多分、あそこじゃまだ知られていないだろう。アドレスは…」
「うん、わかった」
「それから、おまえも発病するだろうから気をつけろ」
｢痣が出来たら、デュオに付けられたって言いふらしてあげるね」
「げげっ…！まっぴら御免だよ！」
複雑な乙女心などというものを、彼に理解しろと言うのはどうやら無理らしい。
この二人、当分進展はなさそうである…。
さて、こちらはウイナー家。
原因がわからずあたふたしていたウィナー家お抱えの医師団は、デュオからのメールを受けて、慌てて地球の医師会に連絡を取り、ようやく騒ぎは収まった。
こうして、『当主の男の恋人発覚』の噂は自然と消えた。だが、ウイナー家のビルを中心として、瞬く間に新種の風邪がコロニー中に広まったのは言うまでもない。そして、痣があちこちで揉め事を引き起こしたということも。あとがき
一応、ギャグです、ギャグのつもり……な作品。オチはかなり気に入っているんですが、二人の間を行ったり来たりで、こんなのでいいのかなあ。
それにしても、コロニーという設定は、色々と話を作れて面白いですね。