傷　　　　　　

　

　側近たちが固唾を呑んで見守るなか、ちりちりと鈍い痛みと共に左頬の絆創膏が剥がされた。
「ごらんください、処置は完璧です。まったく傷跡は残っていません。国際的に権威ある×××教授自ら執刀され………」
　とうとうととまくしたてる医師の説明を、カトルはどこか遠くの出来事のように聞いていた。

　

　痩せこけた頬、もとの色すらわからないほどに薄汚れた襤褸を身にまとい。
背に負われたままの子どもは薄く目を開いたまま虚空を眺めている……。
Ｌ―４圏でもっとも貧しいといわれている一角を視察にきたカトルのまえに、その女は立ち塞がった。

　

　長さ７センチにもわたる大きく歪んだ切り傷。もう５ミリそれていたら片目を失明していたかもしれない。
　深く抉られたその痕を残さないために、一体どれだけの費用がかけられたことだろう。
　だがそれは、ウィナー家の財力をもってすれば容易いことなのだ。
　若すぎる当主を疎んじている幹部たちは、あの容姿も交渉の為に必要なのだからといくぶん皮肉めいた評価をしていた。
　ほとんどの側近は、馴染んだ笑顔に傷跡が残るのを見たくないと好意的に受けとめている。
　そしてカトルがガンダムパイロットであったと知っているごく一部の者達は、傷跡を隠そうととりわけ躍起になって奔走し…。
　その結果がこれだった。

　

　訴えたいことがあるのだろうと無防備に近付くカトルの頬に、錆びた裁ち鋏が切り付けられる。
一瞬何が起こったのかわからず立ち竦むカトルに向かい、女の罵声が浴びせられた。
「あんたが……！！あんたがガンダムでやったんだ。コロニー０６Ｅ３。あんたが落としたあそこには…
この子の父親が…怪我で動けず捨て置かれたあの人がいたんだ！」

　

「カトル様。あの親子のことでしたらご心配には及びません。子どもはしかるべき施設に引き取られましたし、女の方はどうやら精神的に少しまいっていたようでして」
　根も葉もない噂をどこかで漏れ聞いた彼女は、妄想に妄想を重ねてあのようなことを叫んだのだと思われます、と続けたその声は、カトルの心を鋏よりも深く切り裂いていた。
　繰り返される心の痛みも、日々を重ねるにつれやがて薄らいでいく。だからこれは罰なのだ。忘れかけていた自分に対する。
　カトルは今一度自分の身辺、そして日々の営みを振り返った。
　僕の生は、失われた命の償いのためにある―――あの戦いで死ななかったその訳を、カトルはこんな風に解釈していた。　

　

「許さない。あたしは絶対あんたを許さない。あんたは許されちゃいけないのだから！！」

　

　

　いつもの笑み、型どうりの挨拶。どんなに心を飛ばしていても、身についた役柄をきちんとこなし。
　仕事用端末が持ちこまれた病室からようやく開放され、カトルは執務室でひとり大きく息を吐いた。
　ともすれば足元にぽっかりと空いた暗闇にずるずると呑み込まれそうになる。いっそのこと身を投げ出してしまえばどれだけ楽だろう。
　卑怯な誘惑に今日も心は揺れ惑う。
　それでも。
　震える唇をきつく噛み、カトルはまっすぐに顔を上げた。かつて共に戦った４人の眼差しが、カトルの心によみがえる。
　「大丈夫。本当に大切なことは皆君たちに教わったから」
　目をそらさないで、痛みに負けないで。もっともっと強くなる。出来ることを出来るだけ。

　鏡に窓にと映る自分の姿。白く滑らかな頬を見るたび、瞳は赤黒い錆に彩られた鈍い光に射抜かれる。
　それは突き付けられた断罪の証………。

　

　

　

　

あとがき：悩み苦しみ、迷い戸惑って。それでもあがきつづけてきたカトルの生き様は戦後も変わることなく。
　　　　　　ネット小説ならではの手法で、そんな彼の姿が書ければ…と思いつき、出来たお話です。
　　　　　　でも、少し痛々しすぎる……かな？　　　　　　　　　

ＢＡＣＫ