ＧＲＥＥＮ　ＡＲＲＯＷ

月にたった２日しかない、アカデミーの休日。

前日までの激しい訓練の疲れなどどこふく風と、ほとんどの学生は街へと繰り出していく。
ジャンクフードにナンパ・ショッピングなどその目的は様々、訓練生達の暮らす寮は、普段の喧騒が信じられないほどに静まりかえっていた。

　

基本的に寮は６人部屋だ。
部屋が静かになるのは皆が睡眠中の深夜だけ、交代制の特別強化訓練が入ればそれすら無理になる。

……なので、読書好きのイザークはこの日を待ちわびていたのだ。

　

舌の肥えた彼のこと、ジャンクフードなど口あわない。
ナンパも同様、ここ２･３年、降るようにあった「良家のお嬢さま」の紹介のせいで、女性と付き合うことの面倒くささには辟易している。
そして、裕福な家庭に育ち何不自由なく暮らしている彼に、ショッピングの必要などあろうはずもなかった。

電子工作のため残る事の多いアスランも、今日は珍しく出かけている。
だから部屋に残るのはおそらく自分だけ。
今日こそゆっくりのんびり、一人きりで本を読もうとロッカーの奥に置いてた袋を取り出し部屋へと戻ったのだが………。

　

　

　

「え…？」

カーテンをかけ忘れたまま眠るなんてありえない。
少なくともイザークの流儀ではそうだった。

なのにニコルは小さな背中を無防備にさらし眠りこけている。
ベッドの裾にはきちんと畳まれた制服。
腰のあたりにだけ毛布が巻きつけられていて上半身はアンダーシャツのまま、眠りはかなり深そうだ。

細いが程よく筋肉のついた下肢に、幾つか打ち身の痕がある。
一際目立って見えるのは、その肌が白く滑らかなせいだ。
イザーク自身の脛には色素が薄く目立たないが、あるべきものが僅かばかり生えている。

ニコルはまだほんの１４なのだ、と思い知らされる瞬間。

幼いながらもよく鍛えられているとはいえ、やはり体力的には辛いに違いない。

それでも射撃の成績は、同率首位だったアスランとイザークに僅差で、３位。
あの華奢な腕で銃の反動をどう逃がしているのだろう。

「コツがあるんです。上手くは言えないんですけど。でも僕の腕、見かけと違って結構強いんですよ」

冗談半分でニコルと腕相撲をしたラスティがあっさり負けてしまったという噂も耳にした。
加えて爆薬処理の知識と技術は、他の者の追随を許さない。

そして………

　

　

　

「……眠っているのならいないのと同じだ、邪魔にはならない」

胸に湧き上がる不可解な感情をようやく沈め、イザークは呟くように一人語ちた。
ニコルの斜め向かいにある自分のベッドに腰をおろす。
先月ようやく手に入れた民俗学の雑誌をおもむろに開き、目次を読み始めたのだが…。

　

「…ん…」

静寂のなか、空気を震わすような微かな声に思わず顔を上げる。
ほんの少し肩が揺れたような―――だがそれだけのこと。

再び文字を追い始め、やがて少しずつその世界に吸いこまれていきかけたその時。

ことりと小さな音がして、緑の髪が揺れる。
壁を向いていた身体はあお向けに投げ出され、あどけなさの残る横顔が視界に飛びこんだ。

うっすらと開いた桜色の唇は少女を思わせるが、治りかけた擦り傷が赤黒く目立つ頬は幼い子どものよう。
静かに上下する胸元を見ていると、聞こえないはずの呼吸音すら聞こえる気がして、イザークはありえないと首を振り、またページをめくる。

　

東洋の古い焼物の写真に心惹かれ買った本だった。
軍とそれに付属するアカデミーにあるものは、全てが機能的で無駄がない。
何かに追いたてられるようになすべき事をこなす、そんな生き方を続けていると、時折無性にこういった世界が欲しくなる。
らしくないとディアッカには何度も笑われたが、それでも民俗学にはイザークを惹きつけてやまない魅力があった。

西洋のマイセンや日本の色鮮やかな伊万里焼も美しいが、イザークはぼってりと厚みのある地味な色合いの陶器に心惹かれる。
生活感に溢れ手にしっくりと馴染む形。
それを生んだナチュラルの文化を考える時だけ、憎しみが遠ざかる気がした。

　

ふと、張り詰めた何かが一気に解けた。
心のどこかがぽっかりとひろがっていくような感覚におそわれて大きく息を吐く。
それからおもむろに顔を上げれば。

　

ニコルはまだ眠っていた。
先ほどより深い眠りに入ったのか、微動だにしない。

広げたページに視線を戻し活字を追おうとしても、意味はイザークの心に届かず写真はそこにあるだけ。

　

ただ今は――――本よりも。

　

この時間が何よりも大切でいとおしく。
それこそが、ニコルへの気持ちなのだということには気づかないままで。

　

　

【おまけ】
「ＥＡＲＳ」(お題：１０センチ)はイザークを眺めるニコル、そしてこのお話はニコルを眺めるイザーク。
対になるので、お題フリーに入れました。
ＧＲＥＥＮ　ＡＲＲＯＷとは、小ぶりの淡い緑の薔薇です。色んな意味でイメージがぴったりだと思うのですがいかがでしょう？
イザーク視点というのはとても難しく、どこまで彼らしさがだせたのかとても不安ですが、無自覚な恋心とか不器用さに少しでも共感していただければ幸いです。