<ＡＭ１０：４０>

｢気が付かれましたか、カトル様」

次に目が覚めた時、心配そうに覗き込んでいたのはラシードだった。
｢今日の仕事は全てキャンセル致しましたのでゆっくりとお休みになって下さい」
……あ！　仕事……！
慌てて起き上がろうとすると、ラシードがそれを押し止めた。
｢良いのですよ、幸い今日は重要な会議などはありませんし。カトル様はずっと働き詰めだったのですから、休養を取るいい機会です」
｢…ありがとう。ごめん、ラシード｣
謝ると、ラシードは首を振り、疲れたように溜息をついた。
｢良いのです、無理もありません。私も今日は休みたい気分です……」
そのラシードの様子に、僕は覚悟を決めた。
｢やっぱりあれは夢じゃなかったんだね」
｢はい、まるで悪夢のようですが。……昨夜は取り乱してしまって、申し訳ありません」
大きな身体のラシードがシュンと項垂れる姿に、僕は少し笑った。
｢いいよ、本当に無理ないもの」
それから周囲を見回してみたけれど、彼の姿は無かった。

｢ヒイロは？」
｢別室にいます。カトル様をこれ以上刺激しないよう、言っておいたので」
｢大丈夫だよ、もう倒れたりしないから。これが現実なら、順応しないとね。……呼んできてくれる？」
そう、まずは、一体これがどういう状況なのか確かめないと……
｢カトル様、その前に…」
ラシードが言いかけた時、コンコン、と部屋の扉がノックされた」

｢どうぞ｣
ラシードがすぐに返事をする。どうやらこの来客を知っていたようだ。｢誰？」と目で尋ねると、｢私が呼びました」と答える。
カチャ、と扉を開けて入ってきたのは…

｢トロワ！？｣
｢久し振りだな、カトル｣
思いがけない懐かしい顔に、僕は歓声を上げた。
｢ありがとう、わざわざ来てくれたんだね。サーカスの方は？大丈夫なの？」
｢ちょうど休業中だったからな」
｢いつも見に行きたいと思ってるんだけど、なかなか行けないんだよね。…本当に久し振り。会えて嬉しいよ」
僕がそういうと、彼はフッとクールに笑った。でも瞳にはすごく暖かな光があって、彼の表情を優しく見せている。思えば皆、トロワには懐いていたし。
そんなところが全然変わってなくて、嬉しい。

……あれ？　でも…。
ふと疑問に思って、僕はラシードを見上げた。
｢どうしてトロワを？｣
「ヒイロ・ユイの知り合いの中から、一番冷静に彼の状況を分析できそうな人物を選びました｣
｢…なるほど」
答えを聞いて、なんだかすごく納得してしまった。
｢今、とりあえずヒイロ達に会ってきたのだが…」
「えっ？　もうあったの？」
トロワがあまりにも落ち着いているので、僕は思わず驚きと尊敬の目を向けてしまった。するとトロワは少し困ったように、
｢これでもかなり動揺してるんだ」と言った。
…それはそうだよね、いくらトロワが冷静でも、あれを見たら驚くよ。そういえば、部屋に入ってきた時、右手と右足が同時に出てたような。……顔に出ないんだ、彼は。
「それで……、トロワはどう思う？｣
尋ねると、彼は一つ頷いた。
｢大体の状況は判ったと思う。……仮説だが」

さすがトロワ！僕は今度こそ、彼に尊敬の眼差しを向けた。

　

　

<ＡＭ１１：００>

｢……実は、俺は前からヒイロに相談を受けていたんだ」

別に病人という訳ではないので、、僕はベッドから起き上がり、トロワとラシードと一緒にテーブルを囲んで紅茶を飲みながら、ヒイロについて話し始めた。その方が落ち着いて話しが出来ると思ったから。
そうして出てきたトロワの意外な言葉に、僕とラシードは顔を見合わせた。
｢それって、ヒイロがトロワに相談してたってこと？｣
｢あのヒイロ・ユイが？」
ラシードも本当に意外そうに呟く。
確かに、ヒイロもトロワには懐いてた(？)けど……
なんだろう。胸がちくりと痛む。
「ああ、。特にここ一年ほどは―――」
言いかけたトロワを、僕は思わず手で制した。
｢ちょっと待って、トロワ。それって、ヒイロとずっと連絡を取ってたって事……だよね？」
「……ああ、そうなんだ」
少し申し訳なさそうに、トロワは頷く。

なんか、ショックだ……。
ヒイロ、僕には一度も連絡してくれなかったのに。僕はヒイロが何処にいるのかすら判らなかったのに――。
「すまない、カトルがヒイロに会いたがっていたのは知っていたが―――」
僕が落ち込んだのを察して、フォローするようにトロワが言う。
｢相談の内容がカトルの事だったので、言えなかったんだ」
｢……僕の事？｣
そういえばさっき、『ここ一年ほど』って――
「もしかして、あの時の事……？」
それだけで何の事か判ったらしく、トロワはすぐに頷いた。隣でラシードは複雑な表情をしている――そういえば、あの時はラシードもかなり取り乱していたっけ。
あの時の――僕の告白。ヒイロはその事で悩んでた……？

「やっぱり、迷惑だったのかな…」
情けない事に泣きそうになってしまって、慌てて俯いた僕の呟きを、トロワは強く否定した。
「そうじゃない、むしろその逆だ」
「……逆？」
｢嬉しすぎて、どうすればいいのか判らなくなったんだな｣
｢………えええ？」
そんな事言われても、俄かには信じられない。そんな事ある筈ないって思ってしまう。
｢……カトル様、迷惑に思っていたら、ヒイロ・ユイはここへ来ていないと思いますよ｣
少々不本意そうにしながらも、ラシードがトロワの言葉を補足した。トロワは頷き、
｢考えて見ろ。ここへ来てまず最初に、ヒイロは何をした？」
「………え？」
そう言われて、思い出した。
｢抱き付かれた……」
それから、普段のヒイロからはとても聞けないような台詞をたくさん――…
『カトル、愛してる』

う、うわぁっ！……凄い事を思い出してしまった。
カーっと頬が熱くなる。きっと真っ赤になってしまっただろう僕の顔を、トロワは少し笑って見ていた。
「本来は受けた相談の内容は、内密にするべきだと思うが――今回は非常事態だし、今更なのでバラしてもいいだろう」

そしてトロワは、ヒイロの『悩み』を話してくれた。

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