誰かが俺を、ベッドに引きずり上げてくれたらしい。かたくて冷たい筈の背中が、心地よい。
襟元を緩めてくれているこの手は…ヒルデ？
そんなわけないか。あいつは結構お堅いからな。
男の部屋に勝手に一人で上がり込むなんて事は、決してしないはずだ。
「だ…れだ…？」
そっと目を開けると、視界に飛び込んできたのは、薄暗がりでも鮮やかなプラチナブロンドだった。
「あ、気が付いた。デュオ、大丈夫ですか？」
カトル…。どうしてここにいるんだろう？
「鍵もかけずに眠り込んでしまうなんて、不用心すぎますよ。待ち合わせの場所にいつまでたってもこないし、電話しても通じないからと訪ねてきてみたら、驚きました」
そう言えば…そんな約束をしたような気がする。
「すまない、ちょっと…な」
「いったい何があったんです？ ああ、言いたくないならそれでいいですけど。とにかく水でも飲んで、酔いを醒まさなきゃ。吐き気はしませんか？」
よりによって、今一番会いたくない奴。一番みっともないところを見せたくない奴。
知っててそ知らぬ顔をしているのも、こいつの思いやりだろうから。心底、俺のことを心配してくれているということも、わかりすぎるくらいわかっているから……。
俺は、ますます脱力感に苛まれる。
だが、まめまめしく空いたビールの缶やつまみの袋を片付けているカトルの後ろ姿を見た瞬間、俺のなかに残酷な感情が生まれた。
やがてそれは獣のような狂暴な衝動へと変化し、俺の理性を奪い去る。
気が付いたとき、カトルの華奢な体はベッドで俺に組み敷かれていた。
「デュオ！ 何をす…」
声を上げかけた唇を濃厚なキスでふさぐ。上唇をそっと舌でなぞった瞬間、カトルの身体から力が抜けた。
「やっぱり、覚えがあるんだな。このキスは、俺がヒイロに教えたんだ。そして、その先も…な」
「それって…その…」
「信じられないなら、その体で試してみろよ。あいつは、こういったことには不器用だからな。俺が教えたとおり、お前にしたに決まってる」
「……！」
凍り付いてしまったようなカトルの表情に、俺はますますサディスティックな気分になる。
ここまで喋ってしまった以上、もう後戻りは出来なかった。
「お前、あいつに抱かれたんだろう？ 気付いていないとでも思っていたのか？」
全くのでまかせだったが、口にした瞬間嫌な予感がした。
少なくともキス位はしているはずだ。さっきの反応が、何よりの証拠になる。
「そんな…僕は…」
否定も肯定もせず、ただ動揺するばかりのカトルに、俺はますます苛立った。
「悪いが、確かめさせてもらうぜ」
そう言い放つと、細い手首を手近にあるバンダナで後ろ手に縛り上げる。
悲しそうにかぶりを振るカトルは抵抗を試みるが、デスクワークばかりのこいつと俺との力の差は明らかだった。
「止めて、デュオ。こんなことしても、何にもならない」
泣きだしそうなそのかぼそい声も、俺の気持ちを煽るばかりだ。
乱暴にシャツのボタンを外すと、首筋から胸元にかけていくつかの赤い痣を付ける。目をきつく閉じ、半ば諦めたような表情のカトルに、俺はますます欲情していく。
しなやかで無駄のない筋肉で組み立てられたヒイロとはまるで違う、カトルの細い身体。白く滑らかで中性的で…そう、まるで天使のような。
『死神が天使を汚す』
その想像は、俺の心と身体に身震いするほどの興奮を呼び起こした。
左手で顎を押さえ込み、無理遣り舌を唇にねじ込む。そうして動きを封じると、おもむろに股間に右手をのばしベルトをゆるめる。
驚いたことに、触れなくてもわかるほどの肉体の反応がそこに現れていた。
「敏感なんだな、お前は。ここのところくに抜いてないんだろう。それとも身体が覚えているって奴かな。ヒイロじゃなくても誰でもＯＫってか？この淫乱なお坊っちゃんは」
わざと乱暴な言葉を選び傷つける。憎らしいほどに綺麗なこの身体をヒイロが愛したのだと思うと、耐えられなかった。
驚きのあまり大きく目を見開いたカトルの頬は、みるみるうちに紅潮していく。
「僕は…」
視線をそらしながら大きく深呼吸をすると、カトルは俺の指から逃れようとする風もなく、一語一句、確かめるように話し始めた。
「たしかに君の言うとおり、一度だけそういう事があった。ヒイロと地球に行った時…だ」
「ふうん、それで？」
意地悪く嗤って答えながらも、俺はカトルの身体をもてあそぶことを止めない。
喉元に軽く歯を当て、胸の小さな突起を舌で嬲る。ときおりからかうように下着ごしに後の蕾を指で弄ると、慣れない感覚に白い肌が粟立つのがわかった。
そんないたぶるような俺の扱いにもかかわらず、次第に息が荒くなって反応していくその身体を、何もかも目茶苦茶にしてやりたくなってくる。
「あの頃…僕らは…自分の戦いを見失っていた。彼に支えられて、僕はまた、新たな戦いを始めることが出来た。僕がどれだけ、彼の支えになれたかは…わからないけれど」
「だから…？」
俺は、手を下着のなかに滑り込ませる。彼の張り詰めたモノをそっと握ると、それはピクンと応えた。
「やめ…て…デュオ！ そんな…ところ」
「話し…続けろよ」
手のなかのそれが、何故か愛しく感じられる。思わず俺は、優しく扱きあげていた。
他人の手によって与えられる苦しいほどの快感に悲鳴を上げながらも、カトルは必死でそれに耐えて言葉を搾り出す。
「でも、それきり…だ。リリーナさんのパーティのあの事件で会って以来、僕はヒイロの行方も知らないのだから」
なんだって？ 思わず手が止まった。
「行方も…知らない？」
「そうだよ、デュオ。だから僕は君達の間に何も干渉なんてしやしない。できる立場じゃないんだ。それに、ヒイロには…ヒイロには、リリーナさんがいるじゃないか！」
涙を浮かべて叫ぶカトルの様子に、俺は急速に感情が冷めていった。
「そうか…そう…ね、あのお嬢さんか…」
全身から力が抜ける。まさか、カトルの口からこんな言葉を聞くとは思わなかった。こいつはまだ、何も知らないんだ…。
「手、離してもらえますか？」
「あ、そうだな」
下着の中から手を抜き取った途端、何とも言えない気まずさと虚しさが俺を襲った。
いったい俺はなんて事をしてしまったんだろう。カトルが俺を許すとは、到底思えなかった。
「デュオ…」
静かな、カトルの声。
「ヒイロと…何かあったんですね」
「ああ」
おそるおそるバンダナを解き、カトルの腕を解放してやる。殴られても仕方がない…そう思った。それだけのことを俺はした。
だが、カトルは逆に、その細い腕をのばし俺にしがみついてくる。驚いてカトルの顔を見ると、きつく閉じた瞼の間から、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「おま…え…」
「ヒイロとどこで会ったんですか？ 彼は元気でしたか？ 今どうして暮らしているの？教えてください、彼の事を。ヒイロは、ヒイロは…」
今まで一度も見たことがないほどに取り乱し、泣きじゃくる。
あっけにとられた俺は、思わず背中に腕を回してカトルをなだめた。
「何も変わってないよ、ヒイロは。少し背が伸びた位で。バイト程度の仕事はしているみたいだが、それ以上のことは俺も知らない。配達途中で偶然出会っただけだから、何処に住んでいるかなんてことも…」
少しだけ、自分に素直になったみたいだけどな。
お前のことを好きだと言ってのけたくらいなんだから。
そんなことは話せるはずもなく、俺は複雑な思いでしゃくり上げるカトルを抱いていた。
「ごめん…なさい、デュオ」
「なんだって？」
予想外の言葉に俺はうろたえた。腕をゆるめ、思わずカトルの顔を覗き込む。
「どうしてお前が謝らなくちゃならないんだ？ いくら酔ってたとはいえ、お前を傷つけたのは俺の方だ。どんなにお前に詰られたって、仕方がないのに」
「デュオが、僕を本気で傷つけようとする筈ないのはわかっていますから」
涙をためたまま、まっすぐに俺を見返すカトルの瞳は、それが嘘偽りのない気持ちだと語っている。
お人好しにも程ってもんがあるだろうに？
どう答えたら良いのかまるでわからず、俺は黙って言葉の続きを待った。
「もう少しで僕は君に甘え、君を利用してしまうところでした。もっときっぱりと拒むべきだったのに。あとで傷つくのはデュオの方だとわかっていたのに、僕は自分を、自分の身体を抑えることが出来なかった。淋しかったんです。君の言うとおり、僕はきっと彼じゃなくても良かった…」
「俺はそんなつもりじゃあ…」
睫を震わせたカトルは、心底悔やんでいるようにみえる。
「あのまま流されてしまえば全て君のせいにできる、君に強要されたせいだと自分を偽ることができる。僕はそんなことまで考えてしまったんですから」
「もうそれ以上言うな。何もかも自分のせいにするのはお前の悪い癖だぞ。俺から仕掛けたことなんだから、俺が悪いに決まっているだろうが！」
冗談じゃない。履き違えもいいとこじゃないか。どう考えたって、最初に手を出した俺が謝るべきなのに。タイミングを逸して謝りそこねているけれど。
「だけど、君には君の気持ちがあって、どうしようもないときだってあるでしょう？ だったら僕のすべき事は…」
全くすぐそうやって人の気持ちを考えるんだから。こんな性格で一体どうやったら当主なんて面倒臭い仕事ができるんだろうかと、俺は呆れてしまった。
「それに」
カトルはそっと視線を床に落とす。
「僕達は共犯者だから。君の痛みは、僕の痛みです。責めることなんて出来ません」
そう言われて俺は気が付いた。過去のヒイロとの関係を告げたときのカトルの顔…。
あれは驚きではなく、認めたくない事実を目の前に突き付けられた時の表情だった。
いつから知っていたんだろう。
俺の物言いたげな視線を感じたカトルは、静かに首を振り言葉を繋ぐ。
「ヒイロにはリリーナさんがいる。それでも、届かないとわかっていても、僕達は、彼が…欲しい」
欲しい…。その言葉が、ずしんと俺の心に響いた。
この若さで、ウィナー家の当主にしてＬ−４コロニーの代表。あのお嬢さんほどではないにしろ、ＶＩＰであることだけは間違いない。大人たちに囲まれて、一体どれだけ日々の暮らしに我慢を重ねているのだろう。
自分で選んだ道だから…と、いつもさらりと微笑むカトル。支えてやるには、多分俺じゃあ役不足で…。
「しっかしなあ。いくら任務まみれの世間知らずだったとはいえ、大概あいつ、ふらふらしてんな」
言い訳がましくつい非難めいた口調になる俺を、カトルは笑って制した。
「あんな…時でしたからね」
「そうだな」
俺だって人のこと言えないわけで…。
だけど、その出会いが、平凡な日常に戻った今も俺達の心を揺らし続ける。けっして過去を振り返るのではなく、紛れもない真実の気持ちで。
俺は立ち上がると、閉めきっていたカーテンと窓をいっぱいに開いた。コロニーの淡い光が目に眩しい。
カトルは静かに空を見あげた。そよ風に揺れる髪がきらめき、淋しそうな横顔を縁取る。
「これからもいろんな出会いがあります。そのうちに僕達も大人になる。そして、結婚し、命を繋いでいくんです」
「時の流れっていうのは、優しいもんな」
やっぱり俺はそれにすがるしかない。だけど、カトル。だけどお前は…。
思わず言ってしまいたくなる。だけどそれは、俺の言うべきことじゃなく。
人工の空でも管理された自然でも、そこに住む俺達は人間だ。いつだって管理されることのない、出会いと別れを繰り返す。
人の心だけは自分の力ではどうにもならなくて、それが歯痒くて、でも、だからこそ。
「カトル…」
「なに？」
「きっと、いい出会いがあるさ。お前って、すげーいい奴だから」
「それ、そのままデュオにお返しします。僕が女の子だったら、絶対デュオの事、好きになってました」
「どういう意味だよ」
唐突なセリフに、俺はきょとんとしてしまう。
カトルは、悪戯っぽく微笑んだ。
「女の子っていうのは、優しい人が好きなんですよ。泣いているときに慰めてくれるようなね」
女々しいと気にしているんだろうか。今更なのにと苦笑いをして、ふと気がついた。
謝るきっかけを作ろうとして言った言葉だったけれど、見事にはぐらかされている。
この坊っちゃんにはやっぱりかなわない。 ヒイロがカトルに惹かれた訳が、何となくわかったような気がした。
「じゃあ、僕、そろそろ行きますね」
カトルの言葉に、俺は驚いて時計を見た。
「もう？」
「今日はあまり時間が取れなかったんです。もっと早く目を覚ましてほしかったですね」
「ああ、すまん。今日は、ほんっとーにすまなかった」
やっと謝ることが出来た。どう見ても的外れだけれど、しょうがないか…。
「送っていくよ。スペースポートか？」
「ええ。明日、地球で会議があるんです」
「相変わらずだな。ま、程々にしとけよ。体こわしたら、もともこもないぜ」
「ありがとう」
うん、大丈夫だ。カトルの視線をちゃんと受けとめることができる。まだまだ胸は痛むだろうけれど、何があったって俺達は友達でいられる。
上着を手に取り部屋を出ようとすると、携帯が鳴った。
「ほーい、誰だい？」
「わたし。お休みの日に悪いんだけど、急ぎの仕事があるの。どうしても人出が足りなくって。頼める？」
「なんだ、ヒルデか。んー、そうだな…。急ぎの仕事ってなんだ？」
もう少しカトルと一緒に居たい気がして、俺は迷った。
「行ってあげてください。会議が終わったら、また会いにきますから」
「そうか？ うん、わかった。連絡待ってる。いやなんでもない、こっちの話。ＯＫ、すぐ行くよ」
にこやかに手を振り、カトルは部屋を出ていく。
携帯を切った俺は、その後ろ姿に小声で「仲良くやれよ」と声をかける。
まだ酔いが残っていたのか、急に切なさがこみあげてきて、不覚にも俺は涙をこぼしてしまった。
事務所に顔を出すと、ヒルデが一人電話番をしていた。見事なまでに皆出払っている。
「悪いわね、デュオ。友達が来ていたんじゃないの？」
「ああ、もう帰るところだったんだからいいんだよ。それで仕事って？」
「配達なんだけどちょっとやっかいなの。誰でもできるって訳にはいかなくて」
「面倒ごとは、いつも俺か」
「皆、頼りにしてんのよ。ほら、これ、差し入れ。好きなの取っていいから」
コーラにハンバーガー、烏龍茶に野菜サンド。一人暮らしの俺への相変わらずの気遣いに、ついいつも甘えてしまう。
「へいへい」
さすがに胃の調子が良いとはいえなくて、俺はまず野菜サンドを手に取った。
「あれー！ 珍しいね。どっか具合悪いの？」
「ご心配、どーも。あんまりお腹が空いていないだけさ」
相変わらず面倒見の良い奴。タイプは全然違うけれど、よく気が付くところはカトルにそっくりだ。
戦ったり殺したりしないですむ平和な世界。
仲間がいて、世話好きなガールフレンドまでいて。
そのうえヒイロに傍にいてほしいなんて願うのは、やっぱ贅沢ってもんだろうか？
どうこう考えたって仕方がない。ヒイロはあいつを選んだ。ただ、それだけのことだ。
烏龍茶を片手に配達書類に目を通す。その向こうに、ふとカトルの白い肌が浮かんだ。
ちょっとばかり惜しいことをしたかな、なんてつい思ってしまった自分に、嫌気がさしてくる。
「どうしたの、デュオ。ぼんやりしちゃって」
まいったな。しっかり、ヒルデに見られていた。
ヒルデは目敏い。いつも俺を見ているからだっていうことは、とっくに気が付いていたけれど。
「ま、生きてりゃあ、いろんなことがあるよなあ」
誤魔化す気力もなく、つい正直に答えてしまった。珍しく素直な俺を見て、ヒルデはちょっと驚いたような顔をし、それから微笑んだ。
「ふうん。それで食欲ないのかあ…。でもさ、嫌なコトや嫌な自分は沢山あるけど、全部ひっくるめて受け入れてくれる友達がいれば、きっと自分が好きでいられるし、何があったって大丈夫だと思うよ」
なんで知っているんだ？ 思わず聞き返しそうになり、俺は慌てて口をつぐんだ。そんな筈、ないもんな。
『私はいつだって、受け入れてるよ』
そう言ってくれたんだと自惚れてしまおう。
ヒルデの言葉が胸にしみて、俺はまた泣きたい気持ちになった。
「ほら、元気の素！」
好物のキャンディーバーが飛んできて、額にあたる。
「食欲出たら、またステーキ焼いたげるから」
「今度は焦がさないでくれよな」
大げさにしかめ面をしてみせると、ヒルデは子供のように笑った。
ほんの少し軽くなった心で、俺は、もう一度ヒイロとカトルの顔を思い浮べた。
「仲良くやれよ。喧嘩別れなんかしたら、俺が承知しないからな」
そう呟いて一つ大きくのびをし、元気の素を口に詰め込むと、俺は事務所をあとにした。