カトルが眠っている。部屋の隅、壁にもたれかかる様にして。
　青白い頬が時折震える。声にならない呟きが、唇から紡ぎだされる。
　眠りが浅いのはいつものこと。カトルだけではない。

　トレーズ派やドクター達に捉われて（そう、捉われて…だ）の一時の休息。とりあえず今は、殺される心配はない。
　多少はましな情況なのだろうか。

　少しでも眠り、身体を休ませるべきなのだろうけれど、傍らの少年から目が離せない。

　何故トロワは、最後までこいつを信じたのだろう？
　ガンダムパイロットが、コロニーを破壊した。それだけで、こいつの精神状態が普通ではなかったことは明らかだったのに。


　こいつがカトル。あの声の主…。

　僕は…眠っている。
　眠っている僕を見ているもうひとつの僕の意識がある。

　連行された月基地で回収されたヴァイエイトに駆け寄った僕は、銃殺を覚悟していた。
　僕の命をＯＺに委ね、全てを無に帰してしまうという誘惑は、今でも僕を捉えてはなさない。
　それがどんなに最低な誘惑だとわかっていても、蜜のように甘く僕をいざなう。

　ふたつの銃口が、ヒイロと僕とを狙ったとき、最後の虚勢で敵兵士を睨み付けながらも、僕はずっと会いたいと願っていた彼と共に死ねるのなら、それでいいと思っていた。
　一人きりの最後は嫌だった。それは僕のエゴ以外のなにものでもないけれど。

　僕は、例えようもない壮絶な孤独と背中合わせであの凶器を操った。
　誰か止めてくれ、誰か殺してくれ、誰か終わらせてくれと子供のように駄々をこねたあげくに、全てを破壊しようとした。


　トロワ、僕はもう戻れない。
　君が優しさと呼んだもの。それが一体何なのか、今の僕にはわからない。
　わからないんだ…。

　　　　　　　　　　　　



　ヒイロの立ち上がった微かな気配で、カトルは目をさました。
「な…に…？」
「ドクターたちが呼んでいる」

　冷ややかで機械のような声音に、カトルはびくんと震える。
　光線の加減か、白い肌は一層白く、頬に落ちた影は闇の様に濃い。

「はい」

　掠れた声に、ヒイロは苛立ちをつのらせた。

「すでにここはＯＺの兵に囲まれている。他の奴らを人質として、俺達を引き渡せといってきた」
「…ということは、ぼくたちを殺すためじゃないんだね」
「ゼロのシステムのパイロットデーターが欲しいそうだ。俺達とあれが利用されてしまう。最悪の場合、全てを消滅させる覚悟をしておけ」
「全てって？」
「ウイングゼロとドクターたち、そして俺とおまえだ」

　カトルは息を呑んだ。それと同時に微かに安堵の色が走るのを、ヒイロは見逃さなかった。

「くだらないことを考えるな、カトル。あくまでも最悪の場合、だ」
「……そうだね」

　ヒイロは小さく舌打ちをする。
　だが、表情は変わらぬまま、足元がふらつくカトルに右手を差し出した。

「しっかり前を見て歩け」
「ヒイロ…？」
「歩けと言っているんだ。自分のしたことがわかっているのなら」

　カトルは戸惑ったような顔でヒイロを見返す。

「その声。間違いない、やはりおまえだ」
「何…？」
「ニューエドワーズで俺を誘導したのは、おまえだろう？」
「あ、うん…」
「どうしておまえなんだ？」

　まるで謎かけのようなヒイロの物言いに目をしばたかせた途端、カトルの身体が大きく傾いだ。
　その薄い肩を、慌ててヒイロが支える。

　床に座りこんだカトルは大きく深呼吸をし、皮肉めいた笑みを浮かべた。

「どうしてそんなに優しくしてくれるの？　僕はトロワも君も、殺そうとしたのに。さっきだって、僕は殺されたってかまわなかったんだ。
どのみち、君が僕を殺すつもりだったんだろう？」

「ならば、望むようにしてやろうか？」

　眉を顰め、ヒイロはカトルの細い首に手を掛ける。

「おまえが…カトル…」

　指先に徐々に力をこめながら、碧い双眸を覗き込んだ。
　カトルはヒイロのなすがまま、両腕を力なく床にあずけている。

「あの時が……全ての始まりか…」

　一つ一つを、鮮明に思い出すことが出来る。
　ミサイルの爆破解除に向かったとき聞こえた声。
　真っすぐに心に響いてきた叫び。


『了解しました。あなたに賭けさせてもらいます』


「そのおまえが、なぜだ！」

　目蓋の裏が熱くなった。
　これは裏切りだ。手酷い裏切りだ。

　何がと問われても答えられないであろう自分に怒りすら覚えながら、ヒイロはカトルを押し倒し、さらに白い喉に指を食い込ませた。

　ヒイロが我に返ったとき、カトルはぐったりと横たわっていた。
　無意識のうちに手加減したらしく、胸元は規則正しく上下している。

　不意に爆発した感情にヒイロは放心し、ぼんやりとカトルの顔を見やる。
　カトルも虚ろな眼差しをヒイロに向けた。

「行こう、ヒイロ。ドクターたちが呼んでいるんだろう？」

　ヒイロは緩慢な動作で立ち上がろうとするカトルに手を貸した。
　カトルは大人しくその腕に身体を預け、立ち上がる。

「ありがとう、君のいうとおりだ。ちゃんと前を向かなくちゃね」

　二、三歩支えられて歩くと、カトルはそっとヒイロの手を振りほどいた。

「大丈夫、自分で歩けるよ」

　カトルは唇だけで微笑んで見せた。

　その変わり身の早さに、ヒイロは不思議な生きものに出会ったような気持ちになった。

　心のどこかに引っ掛かるものがある。
　それは、不快感とも違和感とも呼べない、ざらりとした何かだ。

　ヴァイエイトのものではない爆発の閃光がもたらす胸の疼きを、ヒイロは無意識のうちに圧し殺していた。



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