『着陸先、アフリカ西海岸方面。到着推定時刻、十七時三十分。現地の気象情況は…』
運転をオートに切り替えるまでの僅かな時間に、カトルはロームフェラの現在の勢力圏を調べあげ、なんとかして身の安全を確保しようとしていた。
疲れの為、キーボードをたたく音も決して軽快とは言えない。そして、ヒイロは意識を失ったままだった。
「作業完了…」
月の引力圏を抜けたというのに、全身は鉛の様に重い。
地球に降りてからどうすべきかを考えようとしても、睡魔がそれを許さない。
だが、眠りに入ろうとした途端、強い感情の波のような力がカトルを目覚めさせる。
幾度かそれを繰り返した後に、カトルはヒイロの呼吸が乱れているのに気が付いた。
「大丈夫、ヒイロ？」
スペーススーツを軽く揺すってみる。
閉じられていた瞼がゆっくりと開かれ、プルシアンブルーの眼差しが宙を彷徨った。
「ここ…は？」
大きく息を吐いたヒイロは、今まで見たどんな彼よりも弱々しく見える。
「地球に向かっているんだ。行き先を、そこしか思いつかなかった…」
「そうか…。俺は、月基地で…」
ヒイロはかすかに顔を歪めた。
「何処か痛む？ 打ち身のほかに外傷はなかったようだけど…」
幾ら地球の六分の一の重力とはいえ、あの高さから落ちたのだ。
見えない部分での出血を、カトルは恐れていた。
「体の方には問題は…ない。おそらく、システムの…後遺…症」
そういったきり、ヒイロは再び目を閉じた。
まわりを確認して気持ちが落ち着いたのか、呼吸が規則正しくなっている。
（そうか…。僕が感じていたのは多分ヒイロの…。これが、後遺症ということなんだろうか？）
どうしてと考えるいとまもなく、カトルも又、眠りに落ちていく。
束の間の戦士たちの休息だった。
眠りの中でカトルは、いくつもの爆発の閃光を見た。
資源衛星、ハリネズミの様にビーム砲で武装したコロニー、トロワのヴァイエイト。そして。
昼間の明るい光のなかに輝くそれは、いつのものだろう。
ここは多分地球…だ。
じゃあこの爆発は。この閃光は…ヒイロの……！
手動切り替えの警告音が、カトルを目覚めさせた。
全身の怠さが眠りの浅かったことを教えるばかりで、夢の記憶は何一つ残っていない。
地球のＧが体に伝わってくるにもかかわらず、ヒイロはまだ目を閉じたままだ。
モニターは、着陸可能と思われる地点全てに、軍の警戒態勢が敷かれている事を告げている。
カトルは意を決して、ＭＳ輸送艇を海岸に不時着させることにした。
（こんなに勢力を広げているなんて…）
これがモビルドールの量産体制によってもたらされた結果なのだ。
着陸の角度と速度の最終調整を終え操縦桿を握ったカトルの瞳に、夕日が飛び込んできた。
哀しい程に美しく、刻々と色を変えていく黄昏の中、輸送艇はあちらこちらを破損しつつ着地する。
激しい音と振動に、やっとヒイロは目を覚ました。
二度目の地球は、水平線に沈もうとする太陽の最後の輝きに満ちている。
木の葉は光を受けて黄金にきらめき、影は既に夜の色を呈す。
そのくっきりとしたコントラストが地球の生命の力強さを表している様で、カトルは胸が詰まった。
ヒイロはカトルの助けを借りてようやくスペーススーツを脱ぎ捨てると、眩しそうに目を細める。
もっと地球を感じようと、周囲を見回したカトルは、調査隊が近付いてくるのに気が付いた。
全てが無駄だったのだ。
無言のまま二人は両手を挙げ、敵兵士に身を委ねた。
・・・・・・
小さな前線基地の司令官は、凡そ捕虜とは思えない待遇を二人に与えた。
ガンダムパイロットが、まだほんの少年だったからであろう。
彼も又、自分と同種の弱さと甘さを内包しているとカトルは思った。
夜も更け、辺りが暗闇に包まれると、ヒイロは端末を無断借用し、情報収集をし始める。
「ヒイロ。サンクキングダムってしってる？」
ウィナー家でロームフェラ財団の勢力圏を調べていたときに見付けたその国は、ずっとガンダムとそのパイロットの動きを調査しているようだった。
北欧の国という以外には、何の手がかりもない。
ただ、財団に問題視されているという事実が、カトルの心の片隅を刺激する。
だがヒイロはそれには答えず、端末に向かったまま、カトルにさっさと眠るように指図してきた。
あれだけ体力を消耗していたはずのヒイロが、顔色もよく、てきぱきと動ける様が不思議で仕方がない。
全身が怠く疲れがたまっているカトルは、渋々その言葉に従った。
柔らかで暖かな寝床は心を落ち着かせる。
カトルは、予測できるこれからのことを可能なかぎり分析し、冷静になろうと試みた。
本部に引き渡されれば、そこで待っているのは遅かれ早かれ『死』だ。
いくぶん気持ちの整理がついてきたカトルは、月基地にいた時程死ぬことを切望してはいない。
「何もせずに捕まるというのか？」
という司令官の問いに、ヒイロは「その時にならなければわからない」と答えた。
彼も又、迷っているのだろう。
サンクキングダムは、きっと近い将来道標になる。
だが今は、ただの予感にすぎず、どうすべきなのか、カトルにも思い浮かばない。
ゼロに乗っていたときのカトルは、恐いほどに為すべきことが見えていた。
だが、本来人間は、こうやって常に悩み、惑うのだ。
「ウイングゼロ……」
そう呟いた途端、ヴァイエイトの爆発の閃光がカトルの視界一杯に広がった。
カトルを宥めるように諭したトロワの言葉の一つ一つが鮮やかに蘇って、カトルの心を激しく揺さぶる。
「トロワ、僕にはわからないよ。あの時、どうして僕のことをあんな風に…」
トロワと出会った頃の自分は、戦うことの本当の意味も、失われる命の重さも、人々の心の曖昧さも、何一つ分かっていなかった。
そんな甘さを見抜いていたがゆえトロワは心を開いてくれなかったのだと、ずっとカトルは思っていたのだ。
（僕はコロニーを破壊した。君に信頼されることなど、何一つしていない…）
ヒイロと、コロニーと。トロワが守るべきものは、それで十分だっただろうに。
何故、どうしてと考えれば考えるほど、自分の罪の深さを思い知らされるような気がして、カトルの心は重く沈んでいく。
受け入れてくれないものを否定し、破壊行為にまで至った事実がカトルを責め苛む。
このままではマイナス思考になるばかりだと、カトルは起き上がった。
出入口に横たわる二匹の犬は耳を退屈そうに動かしただけで、外に出ようとする少年を咎める様子もない。
作業を終えたらしいヒイロが、丁度テントから出てきたところだった。
海岸にいたときと同じ穏やかな表情で、真っすぐにカトルを見つめる。
「本部の迎えは明日だそうだ」
「そう」
与えられた猶予は今夜限り。
「君はどうするつもりなの？」
一瞬の沈黙のあと、ヒイロは眉根を寄せ、視線を外した。
「つかまれば無駄死にするだけだ」
「やっぱり、戦うんだね」
「お前はまだ死にたいのか？」
「わからない。生きなくてはと、思う。でも、自分に自信が無い。きっと君にも迷惑をかけるだろう」
なるべく早くに、ヒイロと別れた方がいい。その方がお互いの為なのだとカトルは心を決めていた。
だが、ヒイロはそれには応じず、さらにカトルに問い掛ける。
「カトル、お前はゼロに乗ったときどんな感じだったか？」
カトルの心搏数が急に跳ね上がった。
だが、いつまでも避けて通る訳にもいかないと、重い口を開く。
「どうって…あれは…あれは博士たちの言っていたそのままだよ。人を、戦う為の道具に変貌させてしまう。
僕はあの時、武装したコロニーがたまらなく憎かった。その感情を増幅させたのが、あのシステムだったんだと思う」
結局は、自分の心次第…。カトルは唇を噛んだ。
ヒイロは意外そうな表情で、カトルを見やる。
「あれを使ったときに、違和感はなかったか？」
「違和感って…意識が妙にクリアだなという印象はあったけれど。ヒイロ、君は一体何を感じたの？」
「俺は、あのシステムに耐えられなかった」
「耐えられない？」
「…というより、受け付けなかったというべきか。あのシステムは、使う人間を選ぶのだろう」
意外な事実にカトルは愕然とする。
「それは君が、心のどこかで戦うことを否定していたからじゃないのかい。だったら辻褄が合う」
「ありえないことだ。戦いを否定しているのはむしろお前のほうだろう。
ゼロに乗っていたとき、俺達は戦ってはいけないと叫ぶ声が聞こえた」
「僕が？」
カトルは目を見張った。
「君がコクピットから落ちる寸前に、僕は、君が今言ったようなことを考えたように思う。 でも、通信機はとっくに駄目になっていたんだよ」
ヒイロの表情が、わずかに強ばった。もの言いたげな視線が鋭くカトルをとらえたが、言葉は発せられない。
気まずい沈黙に耐えきれず、カトルはまた口を開く。
「メリクリウスの自爆装置をセットしてきたのだけれど、ゼロも一緒に破壊できただろうか」
「外部からの爆発では難しいな」
「そうか…やっぱりそう…だろうね。あの人達が作ったんだから」
何を言っても言葉が上滑りしているような気がして、ついにカトルは口を噤んだ。
トロワとヒイロがどの程度親しかったのかは推測の域を出ない。
だが、大怪我をしたヒイロを匿ったのは彼だということは、調査済みだった。
だからこそ。
『お前が殺した』
あのヒイロの短い一言が、重くのしかかる。
気が付くと、犬達が遊んでくれとばかりに甘え、しきりと体をすり寄せていた。
そういえばさっきから足元に柔らかい感触があったと、カトルはしゃがみこむ。
「よしよし…」
頭を撫でてやると、安心しきったように犬達は身を任せてくる。
こんな僕でも…と思うと、獣の温もりにすら甘えてしまいそうでカトルは胸が詰まった。
「この二匹だけだよ、僕達の監視役は」
同意を求めるように、カトルはヒイロを見上げた。
「出て行けってことだろう」
「この国は戦う事を望んでいない。僕達はもめ事の火種なんだね」
ヒイロは小さく頷いた。
「ここの司令官も弱点をもっている。それは優しさだ」
優しさ。ヒイロもトロワも揃って口にするその言葉。
必要な時と、必要でない時とあるのならば、それは単なる御都合主義にすぎない。
そんなものはいっそなくなってしまえば良いのにと、カトルは優しさと呼ばれる自分の感情を、疎ましく思いはじめた。
「行くぞ、カトル」
「あ、うん」
ぼんやりもしていられないと、あわててカトルは後を追う。
ヒイロの歩きだした方向には、軍用飛行場の管制塔らしき建物が見えた。
「まずはロームフェラに一矢報いてから、その後のことを考える。いいな」
どうやらヒイロは、しばらくの間は自分と行動を共にしてくれるつもりらしい。
足手纏いにだけはなりたくないと、カトルは飛行機の操縦役を申し出た。
「好きにしろ」と一言、ヒイロは素っ気ない返事を返す。
だが、態度はどうあれ、常にヒイロはきちんと自分と向き合ってくれている。
それがカトルにはたまらなく嬉しかった。
(もう少しだけ、一緒にいてもいい…かな）
別れようという決心は、敢えなく崩れ去っている。
コクピットに腰を下ろしたカトルは、まずレーダーで、艦影の位置を確認した。
「かなり近いね。このペースだと、あと４時間もすれば、到着するだろう。他に何か情報はない？」
「戦艦は全部で五隻、その内二隻がモビルスーツ輸送専用の大型艦のはずだ。まず中央の艦の司令室を占拠する。そのためには……」
なるべく人を殺さないようにたてられたその作戦は、明らかにカトルを気遣ったものだ。
「了解しました。陽動を頼みます、ヒイロ」
（完璧に遂行してみせる。まずはそれからはじめよう。自分を見失わないために）
「現在西南西方向、百八十キロ。接触推定時刻、午前四時五十分…」
ちょうど夜明け前の時間。
昇ってくるはずの朝日のなかに、希望は見えるのだろうか……。
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