秋めいてきた白昼の森の奥で、突然銃声が響き渡った。
二発続き、遅れてもう一発。
小さなうめき声があがる。
「ちっ！」
舌打ちと共にもう一発の銃声がすると、声はすぐに途切れ、再び静寂が辺りを支配した。
「カトル」
咎めるような強い口調で、ヒイロはカトルを呼ぶ。
「ごめん、ヒイロ…。今度こそちゃんとする、ちゃんと殺すから」
追撃部隊の戦艦を乗っ取りあてもなく彷徨い続ける二人を、ロームフェラ財団が見逃す筈もない。
追っ手の兵士に出くわしたのはこれで三度目。
その度に敵の行動を止めるような狙撃しか出来ないカトルに、ヒイロはほとほと手を焼いていた。
「ぐずぐずしていて本部に連絡されれば、又新たな追っ手が来る。お前の腕なら確実に仕留めることができるはずだ」
「うん…」
ヒイロは死体の傍に落ちている銃を拾い上げ、カトルに手渡した。
「これ以上殺したくないのなら素早く殺れ。手がかりが無くなれば、いくらＯＺの情報網といえども、俺達を捜し出すのは困難なはずだ」
「わかってる、ヒイロ、ごめん…」
震える手で銃を握り締め、ただひたすらカトルはヒイロに謝り続ける。
その様子に、もしかしたらとずっと感じていた疑問がついにヒイロの口から飛び出した。
「ひょっとしてお前、銃で人を殺した経験がないのか？」
カトルは慌てて首を振る。
「まさか…。そんな綺麗事ばかりで、この戦いの中を生き延びてはこれないよ」
その言葉が本当だとしても、きっと片手で数えられるほどだろうとヒイロは考えた。
数えきれないほどの人間を、素手で、銃で、ナイフでと殺めてきた自分とカトルとは、根本的に違うのだ。
どうしてこんなやつがガンダムのパイロットなのだろうか。
彼を地球に送り込んだ人物の意図が読めず、ヒイロは訝しむ。
カトルはうつむくと、自嘲気味に話し続けた。
「モビルスーツでの戦いでは、相手の流す血が全く見えない。いくつも倒していくうちに、段々と機体に人間が乗っているということを忘れてしまう。
トロワを撃ってしまって、初めて僕は、そのことに気がついた」
「忘れることも時には必要だ。相手の痛みを一々考えていては、戦えない。敵を殺らなければこちらが殺られるだけだ」
ヒイロの言葉に、カトルは大きくかぶりを振った。
「僕は、大切な人を守りたくてガンダムに乗ることを選んだ。だけど、僕が殺したその人を、大切に思っている人たちも必ずいる…。
あの時、僕は、トロワをを敵だと判断した。僕を受け入れないものとして、そこに存在すると思ったんだ。
だけど、そうではないと気付いたとき、彼はもう敵ではなかった。
結局は戦いなんて、自分を肯定してくれるものを守り、否定するものを敵として倒す。ただそれだけの行為にすぎない」
「だから、殺されたほうがましだというのか？」
ゆっくりと顔をあげたカトルは、唇を一文字に引き結び、真っすぐにヒイロを見据えた。
「生き延びるためにはまず、僕達が別れるべきだと思う。彼らが追っているのは二人組のガンダムパイロットだ。
しかもアジア系の君とアラブ系の僕と。一緒だと目立ちすぎるだろう？」
カトルはきっぱりと言葉を継いだ。
「僕らは、探しているものも目指すところも違うように思える。なのに僕は、地球におりてからずっと、君に甘え続けてきた。
もう大丈夫、月基地で君が言ってたように、ちゃんと前を見て歩けるから」
ヒイロの目に映るカトルが、次第に二重に見えてきた。
無表情のカトルと、泣き叫ぶカトル。
「僕は自分の意志でガンダムのパイロットになることを選んだんだ」
(他人を殺めてまで生きる価値が、今の僕にあるのだろうか、ヒイロ）
「その事実から逃げるつもりはない」
（うそだ、本当は逃げたいんだ。僕はそんなに強くない。ガンダムのパイロットであることもコロニーを撃ってしまったことも、
みんな忘れてしまいたい。もうこれ以上戦いたくないんだ）
「きっとトロワも生き抜いている。だから必ず見付けだす。それが僕の唯一の希望だ」
（助けて、ヒイロ！ トロワが、トロワが！）
突然ヒイロの視界がまばゆいばかりの光に包まれ、そして…。
目前の少年は、木漏れ日を頬に受けてうっすらと微笑んだ。
「本当に優しいのは僕じゃなく、君のほうだよ、ヒイロ。ありがとう、これ以上君に迷惑はかけられない。だから…」
カトルの笑顔が一瞬凍り付いた。
落葉を踏む小さな音が、少しずつ近付いてくる。
「まずいな…。すぐに立ち去るべきだった」
新たな追っ手の登場に、緊張感がみなぎった。
ヒイロは何も気付いていない風を装い、カトルに耳打ちする。
「俺を狙っている奴が、後の茂みにいる。俺が逃げる素振りを見せればきっと発砲してくるだろうから、その位置を狙って撃て。
俺は木陰に潜む二人を殺る。今度こそ確実に仕留めろ」
「うん」
「いくぞ！」
合図と共に、ヒイロは駆け出した。カトルは言われたとおりに素早く二発、茂みに打ち込む。
ヒイロは枝の死角を利用して瞬く間に敵に近づくと、手にしたナイフで素早く敵の喉を掻き切った。
事切れているのを確かめると、ヒイロはカトルに近付く。
「殺ったか？」
「多分…」
乾いた頼りない返答に不安を感じ、ヒイロは素早く茂みのなかに視線を走らせた。
兵士は胸と頭に銃弾を受け、血塗れで倒れている。
「それでいい」
「良くない……僕は、僕はトロワを…撃って…」
土色の頬をして、カトルは彫像のように立ち尽くす。
死体の背格好は、確かにトロワと同じくらいだ。
だが、顔は似ても似付かない。年令も三十過ぎというところだろうか。
だが、カトルの目には、彼がトロワに映っているのだ…。
「気丈な態度に隠されていた本音が、ついに曝け出されたというところか」
吐き捨てるように、つい一人ごちたそのとき、ヒイロの胸に締め付けてくるような苦痛がはしった。
動くこともできず、ただ耐えるしかない。
（この痛みを、今、あいつが感じているというのか）
かなりの時間、ヒイロは初めての『心の痛み』と格闘し続けた。だが、どうやっても圧し殺すことができない。
やがて徐々に痛みが遠退いていく。それと同時に、カトルの華奢な身体がゆっくりと崩れ落ちた。
「カトル！」
呼んでも揺すっても、ぴくりとも動かない。だが、ここにこうしていれば、また新たな追っ手がくるだろう。
我ながら面倒見が良いと呆れながら、ヒイロはカトルを抱き上げた。
予想していたよりはるかに軽い。
鳥の鳴声と、木の葉が風にゆれる音と。森は本来の静けさを取り戻した。
夕暮が近いのか、風が冷たくなり始めている。
ヒイロはぐるりと辺りを見回すと、やがてゆっくりと歩きだした。
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