辿り着いた土地は既に雨も止み、雲の切れ目から太陽が顔をのぞかせている<
ＯＺの軍用トラックが、地響きをたてて何台もカトルの傍を通り過ぎていった。
ヒイロの話していたとおり、やがてここが戦場になるのだろう。
道添いは、荒れた草地が続いている。だが、街までの距離は差程ない。戦いが激しくなれば、流れ弾が飛ぶ可能性もありえる。
カトルは足早に街へと向かった。
地震の心配のないコロニーでは建物の強度はさほど必要でなく、しかも土地が限られているため高層住宅が身を寄せあう様にして建っていることが多い。
有り余るほどの土地に点在する見るからに頑丈そうな南ヨーロッパの家々は砂漠のそれとはまた違った趣があり、カトルはつい立ち止まり、物珍しそうに覗き込んでしまう。
出窓に置かれた鉢植えには秋の花が咲きみだれ、庭先には果樹や野菜が所狭しと植えられていた。
地球では、生活そのものが自然と深く結びついている。
何もかもが管理され、ただ与えられるだけのコロニーのそれは、たんなる擬物にすぎない。
人工の箱庭の暮らしがいかに儚く哀しいものであるかを見せ付けられたような気がして、カトルは空を仰ぎ見た。
あんな作り物の空間でも、人は皆必死に生きている。そのためには、武器を手放さざるをえなかったのだ。
だからこそ守りたかった…。
だが、守るべきものはもうどこにもない。
ただ追われ、逃げまわるだけの日々。そして自分たちが通った後には、いくつもの死体が残される。
カトルは何度目かの大きな溜息を吐いた。
そして無意識のうちにヒイロの気配を捜している自分に気付き、思わず苦笑する。
あれ以来ただの一度もヒイロを感じたことがない。
時間か、それとも距離か。
どちらにしても、もう甘えることは許されない。自分一人で立ち向かわなくてはいけないのだ。
一字一句、書き込まれたようにはっきりと覚えているトロワの言葉。
命と引替えに伝えようとした彼の想いを、どうやって受けとめたら良いのだろう。
（…そして、優しいカトルに戻ってくれないか）
犯してしまった罪は、二度と消せない。戻ることなどできはしないのだ。
いっそのこと全てのつながりを断ち切って誰も知らない土地に行き、そこで何喰わぬ顔をして生きていけば良いのだろうか？
時としてそれは、死と同じくらい強烈な誘惑となる。
だがそのたびヒイロの声が耳に響く。
「カトル。戦いを忘れようとするからだ。地球が戦場である以上俺は戦う。そして、お前も戦うしかないんだ」
ガンダムのパイロットであることを引き受けた以上、それしか道はない。
わかっていた筈なのに。
うわの空で歩いていたカトルは、壁のようなものに行く手を遮られて慌てて我に返った。
大きな樫の木が目の前に立ちふさがっている。
さほど広くないその道は、根を取り囲むように二手にわかれ、すぐ先でまた一つになっていた。
空まで届かんばかりに伸びたその姿は、デュオと共にガンダムを隠したあの亜熱帯の森で見た木々を思い起させる。
二人してその力強さにただ見惚れ、言葉も出なかったことを…。
どうすればコロニーを守れるか。二人して夜通し語り合ったのは、まるで遠い昔のことのようだ。
「ヒイロがどんな奴かって？とことん無口で無愛想。会うたび俺は振り回されてるんだぜ」
そう語ったデュオの話から想像していたヒイロのイメージと、実際の彼とはかなり違っているように思える。
口数は少なかったが、話し掛けるとそれなりに言葉が返ってきた。
愛想が良いとはお世辞にも言えないが、時折見せる優しげな表情は好ましく。
自分があまりにも情けない顔をしていたからだろうか。
それとも。
かなりの間、ヒイロとトロワは行動をともにしていたはずだ。
互いに影響しあった結果があの時のトロワであり、今のヒイロなのではと思うと、カトルはますます欝屈してしまう。
やがて石畳の両脇に店が連なる通りにでた。
町の中心のようだが、店先に品物の数は少なく活気がない。
街角にモビルスーツがいくつも置かれ、軍服姿の男たちが住民を威圧するかのように徘徊している。
コロニーでは見たことのない果物を見付けたカトルは、持っていた財布の中身を確かめると一つ取り上げた。
モスグリーンの帽子をかぶった店番の老人は、穏やかな笑顔をカトルに向けてくる。
血塗れな自分には相応しくないような気がして、カトルは俯いたままお金を払い、逃げるように店を離れた。
何か声をかけられたようだったが、聞こえないふりをする。
その時背後で大きな声が響きわたった。
「何だと貴様！ 貴様今、何と言った？」
二人連れの軍人が、老人にからみはじめる。
銃剣をこれ見よがしに振りかざし、周りの人達まで威嚇しながら。
武器を手にすると人は強くなったような気がしてしまう。
カトル自身もそうだった。ガンダムという大きな力を手にしただけでコロニーを守れると思い込んでいたあの頃。
今の自分はただの非力な子供にすぎない。
何もできないまま、それでもカトルはじっと事のなりゆきを見守った。
憂さ晴らしといった感じで怒鳴るだけ怒鳴り散らすと、男達は去っていく。
老人は痛みに身を震わせてうずくまっている。
見捨ててはおけない。カトルの足は自然に動いていた。
石畳の上に転がっている帽子を取り上げそっと差し出す。
「大丈夫ですか？ すいません、見てることしか出来なくて」
「いや…ありがとう。なあに、いつものことじゃ。無駄に逆らっては争いごとが大きくなるだけじゃて」
「そんな…」
老人は、哀れむような視線を軍人達に向けた。
「不安でしょうがないんじゃろうな、ああやって苛立って。戦わなければ辛い思いをせずにすむものを」
「戦わなければ…？」
「戦えば人が死ぬ。自分の知らない人かもしれん、親兄弟や親しい友人、ひょっとしたら自分かもしれん」
そう話す老人は、今はもういない誰かを思い出すような遠い瞳をしている。
言葉を失ったまま、カトルは起き上がろうとする老人に肩を貸し、店の奥へと入っていった。
「あんた、旅の人かい？」
「…ええ」
「まったく偉いときに来ちまった。こんな時じゃなかったらいい所なんじゃが」
老人の話を遮るように、店先を軍用トラックが通り過ぎる。
鳴り響いたサイレンの音に思わず顔を上げると、街のあちこちに置かれていたリーオーが戦闘待機の状態に入っているのが見えた。
それと同時に、僅かではあるがヒイロの気配が伝わってくる。
「おいでなさった、近いぞ」
「ぼく、見てきます」
まるでヒイロの存在に引き寄せられるかのように、カトルは戦いの渦中へと向かっていた。
街外れでは既に戦闘が始まっている。いつ飛び火して来ても不思議はないほどに近くだ。
ＯＺの援護部隊なのだろう、エアリーズが何機も上空を通り過ぎていく。
その一機がリーオーに撃たれ、街中に墜落、炎上してしまう…。
大きな爆発の振動が伝わって来るのを、カトルは初めて直接その身で感じていた。
人々の逃げ惑う姿、あちらこちらで上がる悲鳴や泣き声をカトルはしっかりと心に刻んだ。
これが戦かいのもたらす全てなのだ、と。
「戦争って勝手すぎる。何も関係のない人たちがいちばん可哀相だ…」
どうすることもできない悔しさに歯噛みするカトルの目前で、リーオーが一機、砲弾の直撃を受けて倒れてくる。
「…！」
とっさに身を翻し、カトルは頭を抱えて蹲った。
今のカトルにはそれしか身を守るすべはない。
一瞬、全てが終わるかもしれないと覚悟を決めていた。
爆発に巻き込まれるか、重い機体の下敷きになれば、それだけで絶命してしまう。
五体が無事であることを確かめおそるおそる顔を上げたカトルの視界に、街中に侵入してくる何機ものリーオーの姿が飛び込んできた。
（あれは…！）
先頭の機体は、明らかに他のものと一線を画している。
なめらかで無駄のない動き、まるで生きているかのような反応速度。
あんなことが出来るパイロットは、カトルの知るかぎりこの地球上には一人しかいない。
「ヒイロ、駄目だよ。こんな戦い方をしていちゃ僕達は駄目になってしまう。君の求めている戦いは、こんなものじゃないはずだ…」
戦闘は結局、勝負のつかないまま撤退するという形で終わりを告げた。
あちこちに戦闘の爪痕がくっきりと残されている。
どこか遠くで死者が出たらしく、泣き叫ぶ声とともに救急車の音が聞こえてきた。
もしかしたら、自分も失われた命の一つに仲間入りしていたかも知れないというその現実に、カトルは改めて自分の歩んできた道を振り返る。
どんな大義名分を振りかざしたところで、戦いの向こうにあるのは破壊と殺戮だ。
その痛みと引替えに得られる平和は、また新たな戦いを生むことになるだろう…。
ゼロという究極の戦闘兵器を経験したカトルが、武器を全面否定するサンクキングダムの完全平和主義に傾倒していくのは、当然の成り行きだったのかもしれない。
next