東側別館の地下には、コンピュータールームが作られている。同じ建物に二人の部屋を置いたのは、ノインの配慮だ。
更にその地下にも倉庫のような広い空間があるようだが、案内図には記されていない。
モノトーンでまとめられたシンプルな人工の空間。
キーボードの手触りやモニター画面の無機質な反射光は、ヒイロにとって最も近しいものだった。
空調の微かな音が心地好い。
暫しその音に耳をかたむけてから、ゆっくりとあたりを見回す。
最新の機能が搭載されている端末が目に留まった。
すかさずスイッチをオンにする。
財団の勢力確認、周辺施設の軍備の調査、そして宇宙でのＯＺの動き…。
ハッキングをサーチされないよう慎重に作業を進めた為、通常の倍以上もの時間が費やされていた。
それにもかかわらず、得られた情報は公にされているものと殆ど同じだ。
こちらの技術を警戒してのことだろう、日増しにガードが固くなっている。
無理遣り割り込んでも偽の情報をつかませられることも少なくない。
ヒイロは一旦回線を切ると、今度はサンクキングダムのグランドコンピューターにアクセスし、情報を引き出し始めた。
コロニーからのサポートがない今、一人の力で全容を把握することは所詮不可能だ。
ならばここで得られる情報を利用したほうが得策だろう。取り敢えずの隠れ家として、サンクキングダムは申し分ない。
そう結論づけたヒイロは、情報を詰め込んだディスクを引き抜き立ち上がる。
ロックを外そうとドアに手をのばしたその時、外に人の気配を感じた。
（カトル…？）
小さく舌打ちをする。わざわざここへ来ることなど告げる必要はなかったのだ。
それでも用心のためにと、ひそかに持ち込んだ懐の銃に手をかけドアを開いた。
ほの暗い廊下にカトルの姿がぼんやりと白く浮かび上がる。その姿は明らかに常軌を逸していて、ヒイロは眉を顰めた。
夜はかなり冷え込むというのに、ブラウス一枚を身につけたきりだ。
湿り気の残った金髪が張りついた頬は、寒さのためにすっかり血の気を失っている。
シャワーを終えるや否や慌ててヒイロを追ってきて、入るに入れずずっとここで待っていたのだろう。
「使いたいのか？」
顎で部屋を指し示す。
すかさず入ろうとしたカトルを、ヒイロは全身で押し止めた。
「トロワの行方を調べるつもりならやめておけ」
鋭い口調に、カトルの顔が強ばっていく。
「ハッキングは短時間で済ますことが原則だ。トロワのこととなると冷静さを失ってしまうお前に捜索をやらせるわけにはいかない。
この国に迷惑をかける事態になってもかまわないのか？」
黙りこんだままのカトルに向かい、ヒイロは畳み掛けるように言葉を継いだ。
「部屋へ戻れ」
「でも…」
「俺がやる。だからお前は部屋へ戻れ」
一瞬見せた縋り付くように表情にヒイロは後ろめたい気分になった。どうやら形ばかりの調査でお茶を濁す訳にはいかないようだ。
「傍で見ている…のもだめかな？」
「いい加減にしろ。自分の体が今どんな状態なのかもわからないのか。自己管理もできない様な奴は、足手纏いになるだけだ」
手厳しい言葉にいくらか自分を取り戻したのか、カトルは唇を噛みしめ頷いた。
その腕のなかに自分の上着を押しつけて、ヒイロは元のシートに戻る。
再び端末を起動させ、回線をつなげる作業に取りかかった。
だが、一向に扉が閉まる様子がない。大げさに息を吐いて振り返る。
その途端、突っ立ったままのカトルと視線がぶつかった。
泣き笑いのように頬を歪めたカトルは、慌ててヒイロの上着を羽織り、くるりと背を向け廊下を駆け戻っていく。
ようやく厄介払いができたといわんばかりの勢いで、ヒイロは扉を閉めた。
別れ際の不可解なカトルの態度からはあえて目を逸らし、コロニー管理局のデーターバンクに侵入を試みる。
こちらのセキュリティの解除は容易い。機密扱いになっている筈の情報も、瞬く間にモニターに映し出されていく。
素早くモニターをスクロールさせながら、ヒイロは食い入るように流れる文字を読み取っていった…。
ヒイロが部屋に戻ったとき、壁に掛けられた古風な柱時計がふたつ鳴った。
鈍く光る金色の振り子はいきつもどりつを繰り返し、全ての人間に平等な時を刻んでいる。
寝室に向かうヒイロの足取りは鉛のように重い。
開いたドアのむこうに白いパジャマにくるまれたカトルを見つけたヒイロは、思わず息を呑んだ。
半分だけカーテンが開かれた窓から差し込む月の光が、穏やかな寝顔をくっきりと浮かび上がらせている。
静まりかえった部屋には衣擦れの音さえ大きく響く。だが、無造作にドアを閉めてもカトルは身動き一つしない。
おそらく熟睡しているのだろう。
戦士としてあるまじきことだと、ヒイロは呆れ顔で手元のディスクに視線を移す。
カトルを宥めるためとはいえ、三時間もかけて集めた代物だ。結局、有力な手がかりは何一つ得られなかったのだが。
（馬鹿なことをしたものだ。あの爆発に巻き込まれて生きている奴がいるとしたら、よほどの強運の持ち主だろう）
そしてヒイロは「運」などというものを信じてはいない。少なくとも、今までの彼の流儀ではそうだった。
カトルの枕元にディスクを置くと、さすがに何かを感じたらしく、長い睫が微かに震えた。
丸みを帯びた頬に落ちる陰影は、月基地で見たそれと比べると青みがかっており、曖昧で優しい印象を受ける。
（どうしてこいつは俺を俺のままでほおっておいてくれないのだろう…。俺の中から、俺すら知らなかったものを次々と引きずりだす）
あの日カトルの首を絞めた感触が、不意に甦った。
無防備な喉にこの指を押しあて、ほんの少し力をこめれば…。
だが今は。
（狂っているのは誰だ？ 迷っているのは一体どちらだ？）
同調が起こらなくなってもなお、カトルに振り回されている自分がいる。
そしてトロワの生存の可能性も、限りなくゼロに近いというのに…。
ヒイロはベッドサイドの小さな灯りをともすと二重になっているカーテンを完全に閉め切った。
制服を脱ぎ捨て自分のベッドにもぐりこむと、その仄かな灯りすら消してしまう。
完全な暗闇と暖かな布団に包まれて、ヒイロはやっと安らげるような気がしていた。
一日の始まりを告げる陽の光は、僅かな隙間も見逃さず侵入してくるものだ。
部屋のなかはカーテンの深緑を映し、不健康な薄暗さに澱んでいる。
ヒイロは目が覚めるや否や起き上がり、窓を開け放った。その途端人の動く気配がしてぎょっとする。
隣のベッドにカトルが眠っていたことを、すっかり忘れていたのだ。
あまりにも迂闊な自分が信じられなくて、ヒイロは惚けたようにカトルのベッドを見やる。
カトルは二、三度目をしばたくと、ゆっくりと体を起こした。
「おはよう、ヒイロ。何か情報はあった？」
視線で枕元を指し示しす。
ディスクを見付けたカトルは、それを胸に押し抱くようにしてそっと目を伏せた。
「ごめん…先に休んじゃって」
「お前の方が体力がないのは承知している」
「酷いなあ。ヒイロが丈夫すぎるんだよ」
カトルは体ごとヒイロの方を向き、明るい笑みを浮かべた。
邪気のない表情に釣り込まれ、ヒイロはつい相好を崩しそうになる。
ふりそそぐ朝日のなかの仮初めの平和、仮初めの安息。
カトルの金の髪は陽の光に透けてしまいそうに眩く、ヒイロは思わず目を細めた。
「ねえ、ヒイロ。ここの朝食ってどんなだろう？」
「夕食があれだから、まあ、期待できそうだな」
自分がどんな表情で受け答えをしているのかが不安になったヒイロは、顔を背け、脱ぎ散らかしたしたままのブラウスを拾って身につけ始めた。
「あれ？ヒイロ、そこ、そうするんじゃないよ」
昨夜とうとうどう結ぶのかわからなかった襟元に、カトルの指が躊躇なくのばされる。
「こう通して。窮屈に感じるならここを少し緩めると…ほら」
「これほどひらひらした制服は初めてだな」
ヒイロは袖口を睨み付けると、欝陶しそうに顔をしかめた。
「大丈夫だよ、ヒイロなら似合うから」
「お前ほどじゃない…」
憮然として言葉を返し、くすくす笑うカトルを軽く睨む。
まるっきり普通の学生同士の会話のようで、ヒイロは妙な気分になった。
今まで何度も学校に通い、目立たないよう振る舞おうとしてきた。だが、それがかなったことなど一度もなかったというのに。
「当分の間は学生ごっこ、か。どんな生活なんだろう」
こんなふうに通うのでなければ、きっと何もかもが新鮮で楽しかっただろうに。
窓の外を眺めるカトルの横顔はそう語っている。
「俺もしばらくここに滞在することにした」
そう告げた途端、カトルの顔がぱっと輝いた。
「じゃあ、サンクキングダムを守るのを手伝ってくれるんだね」
「そういう意味じゃない。情報を入手するのに色々便利だからだ。
もっとも、ここがロームフェラの攻撃対象になれば、結果的には守ることになってしまうんだろうがな」
「それで十分だよ、ヒイロ」
昨夜のおどおどとした態度は、影をひそめている。強引にヒイロをつれてきたという後ろめたさがあったのだろう。
同調がなくても気持ちは伝わるのだ。
当たり前の事実に、何故かヒイロの心は和んでいく。
「もうじき七時半だよ。食堂にいかなくちゃ」
「…そうだな」
落ち着かない気分で、ヒイロは先に部屋をでた。
本館に通じる渡り廊下を見付け、そちらに足を運ぼうとしたヒイロをカトルが引き止める。
「せっかくだから、散歩がてら庭を歩いていこう。きっと朝の景色もきれいだよ」
断る口実を思いつかないまま、ヒイロはカトルの提案に従った。
白樺は僅かに葉を残し、その細い枝を陽に透かしている。
常緑樹の濃い緑も冷たい朝の空気をものともせず葉を広げ、命を漲らせて輝いていた。
鳥の鳴声に振り返り、空を見上げては立ち止まるカトルの歩調にあわせ、ヒイロもまたゆっくりと足を運んでいく。
窓辺や木陰から、女生徒たちの控えめな視線がちらちらと二人に向けられていた。
初めての男子生徒に対する、好奇心や戸惑いの色を滲ませて……。
二人のサンクキングダムでの生活は、こうして始まった。
授業の初日からロームフェラの血縁者だという少女がからんでくるといった事件は起こるものの、
幾日かは平凡な学生生活を営むことになる。
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