コロニーを撃つかと思われたリーブラの主砲は地球に向けられた。
　巨大なエネルギーの帯が南洋の孤島を一瞬のうちに蒸発させてしまう。
　モニターに映る青い地球に小さな光の点が生まれ、やがて消えゆく様を眺めるしか出来ない事実に、Ｇパイロットをはじめとしたピースミリオン陣営の人々はただ唖然とするばかりだった。

　この事件はホワイトファング軍とはコロニーの一部の者達による組織ではなく、宇宙全体の意志だという印象を地球に植え付けた。
　トレーズもゼクスも、それを戦う口実に利用しようというのだろうか。
　全ては無駄な足掻きだったのだ。必要とされていると信じていたのに……。

　無力さに打ち拉がれ帰還したカトルは、暗闇になったコクピットのなかで力なくうなだれていた。
　やがて小さなノックの音がして、カトルは顔を上げた。
　僅かに開いた隙間から、モビルスーツ格納庫のオレンジがかった淡い光が差し込んでくる。

「何やってんだ、カトル。さっさと出てこいよ。トロワがお待ちかねだ」

　ゆっくりとハッチを開いたデュオは、明るい笑みを浮かべてカトルの顔を覗き込んだ。

「リーブラのことで悩むのは後回しにしてとにかく行け。あいつの記憶、戻ったんだろ」

　あたりを見回せば、確かにトロワの視線がこちらに注がれている。

「僕を待ってる…トロワがそう言ったの？」
「俺にそんなこと言うわけないって。でも見てりゃわかる。このくらいのお節介ならかまわないだろ？」
「でも…」

　全てを思い出したとき、彼はどんな審判を下すのだろう。どれだけ蔑まれても仕方のないことなのだけれど。
　唇を噛んで俯くカトルの腕を引っぱりながら、珍しくデュオは真顔で言葉を続ける。

「お前らの間に何があったかは知らないが、たとえ記憶を失っていようともトロワは自ら望んでここにきたんだ。それを忘れるな」
「デュオ…？」
「ほら、行けよ」

　とん…と軽く背中を押され、カトルの体はふわりと宙に投げ出された。
　近付いてくるトロワの瞳は今までのような不安に揺れるそれではなく、地球の常緑樹にも似た静かな深緑だ。
　風景の輪郭が滲んで歪み、目の奥が熱く息が詰まる。
　気がつけばカトルの腕はトロワに捉えられ、自然と向かい合っていた。



「トロワ…あの…」

　柔らかに細められた目元、笑みとしか見えない表情の意味するものがわからない。
　本当に記憶が戻ったのだろうか。

「カトル、食堂にいこうか。喉が渇いた」
「あ…うん」

　どう話を切りだせばいいのかわからないまま、あとについて歩く。
　壁に掛けられたプレートをひとつひとつ確かめながら進む姿をみて、カトルは次第に不安になっていった。

「トロワ？　覚えて…ないの？　ここにきてからのこと…」

　記憶を失っていた間に起こったことは、記憶を取り戻したとたん忘れてしまうとどこかで聞いた気がする。
　そのことでトロワはまた苦しむのだろうか。

「案ずるな。断片的に覚えているから大体の経緯は見当がつく」

　食堂から他のクルー達の賑やな笑い声が聞こえ、トロワは手前の曲がり角で足を止めた。

「それよりもカトル。言いたいことがあるんじゃないのか？」
「あの…話したいことは色々あるけど、でも、まずは謝らせてほしい」
「謝る？　何をだ？」

　ゼロの一件はまだ思い出せていないのだろうか。
　震える指を握り締め、不安に駆られながらカトルは必死で言葉を紡ぐ。

「思い出した…んだろう？　君が記憶を失ったその訳を。僕の短慮のせいで君の心も身体もたくさん傷つけた。
　許してって言えるような事じゃないけど、でも……トロワ、ごめんなさい」

　トロワは静かに、だがきっぱりと首を振った。

「許すも許さないもない。そもそも始めから、怒ってなどいないのだから」
「だけど…」

　カトルに向けられた瞳はあくまでも深く柔らかい。

「俺はそうしたいと思ったことをしただけだ。お前が負い目を感じる必要はない」
「でも！」

　カトルは会話を遮るように声を荒げた。

「僕は、僕のしたことはどうしようもなく愚かで、だから…」
「だから俺にはお前を詰る権利があるというのか？」

　言葉に詰まったカトルは、ついに居たたまれなくなり俯いてしまった。

「本当にもういいんだ。お前は戻った、元の優しいカトルに。それで十分だ」

　そう言ってカトルの肩を軽く叩くとトロワは食堂に足を踏み入れた。
　メカニックの幾人かが次々と声をかけてくる。
　言葉少なだがそれなりに応じる姿に、カトルは以前とは違った空気を感じ取っていた。

（やっぱり変わったんだ。ううん、トロワだけじゃない。多分ヒイロも、五飛も…）

　ならば茶色い三つ編みの主はどうだろう。出会った頃から変わることのない明るさを思い浮べれば、自然と笑みがこぼれた。
　だがそれも束の間のこと。
　再び顔を曇らせたカトルは、トロワの言葉を何度も心のなかで繰り返していた。

（戻ったって…元の……優しい…僕？）

　いったい自分はどんな言葉を望んでいたのだろう。
　愚かなことをしたと詰られ、決して許さないと言われれば満足だったのだろうか。

　手のなかに炭酸飲料のボトルが押し込まれ、カトルははっとして顔を上げた。
　長い前髪の向こうの穏やかな笑みに胸の奥が締め付けられる。

「ヘビーアームズの改造について確認しておきたいことがある。ここのメインコンピューターの端末を使いたいんだが」
「それなら格納庫の近くのを使えばいいよ。機体を直接確かめるのにも便利だし」

　おそらくヒイロは格納庫にいる。一刻も早く二人を会わせたい。

（とにかく謝罪の言葉だけは言えたんだ。振り返ってばかりじゃ何も変わらない）

　ストローを通して冷たい液体を口に含めば、炭酸独特のしゃきっとした甘さが身体全体に染みわたる。
　ようやく喉の渇きが癒され、カトルは肩の力が抜けていくのを感じていた。

「案内するよ。できることなら何でも協力する。そのくらいの償いはかまわないだろう」
「お前の気のすむようにしろ」
「ありがとう」

　そうやって少しずつ少しずつ前に進んでいけば。
　……いつかは優しさの意味がわかるのだろうか？



next