ざわざわと不穏な予感が心をかき乱す…。
ウイングゼロの端末で情報整理をしていたヒイロは、苛立ちを押さえ切れずコックピットの扉を開けた。
どこからか聞こえてくるメカニックたちの会話に情況を察し、眉を顰める。
カトルが動揺するのも無理のないことだ。
だが記憶が戻ったからといって、あの一件でトロワがカトルを責めるとは思えない。
そういった感情とは無縁な男だということをヒイロはよく知っている。
もう一度端末に向かおうとしたその時、くすんだ色調で構成される空間のなか、一際鮮やかな金の髪が視界に飛び込んだ。
トロワと言葉を交わす様子はいたって和やかだ。どうやら少し落ち着いたらしい。
手招きされて通路へと降りる。
カトルは上げたその手を小さく振って踵を返した。席を外すつもりなのだろう。
視線でカトルを見送ってから向き直れば、トロはゆっくりと頷く。
それだけで全てを理解したヒイロは、押し黙ったままトロワの隣に立った。
「やっかいな機体だな」
ウイングゼロを見上げた瞳が揺れるのに気付き、ヒイロの心もまた波立っていく。
ゼロに乗ることで記憶を取り戻したトロワは、システムに何を見たのだろう。
「ゼロシステムは思考のバランスを狂わせる。あの時カトルが暴走したのも無理はない。あいつが止めてくれなければ、俺も破壊行動に出ていた」
「あいつ？」
ヒイロは僅かに眉根を寄せる。
「通信機から聞こえるカトルの声で、俺は正気に返った」
「……そうか」
「だが、お前はこれを乗りこなすことができる」
「ああ」
「では…何も問題はないな」
誰に言うともなく呟いて、トロワは自分の機体に向かって歩きだした。
「ひとつだけ聞きたい。あの時お前は何故、ゼロに乗っていたカトルを味方だと判断した？ コロニーを破壊するものは誰であろうと敵だったはずだ」
背中に届いたその声は、トロワを振り返らせるに十分な力を持っていたらしい。
彼らしくない困惑の表情は、ますますヒイロを苛立たせる。
「お前はカトルに何を見ている？」
「どういう意味だ」
「言葉そのままだ、あいつに何を見ているのか」
「ならばお前は？ お前は違うというのか」
静かな、しかし鋭い視線がヒイロを射抜いた。
一瞬の緊張…。だが、トロワはそれ以上何も言わぬまま、ヘビーアームズの方へ向き直る。
ヒイロは自分で発した釈然としない言葉に困惑しながら思考を巡らせ始めていた。
他人のなかに何を見、何を感じようとそれは個人の自由だ。ただの幻想や虚構であったとしても、当人にとってはそれが真実なのだから。
所詮人は、経験というフィルターを通してしか他人を理解する術はなく。
だがヒイロは地球でずっと互いの全てを曝け出してカトルと向き合ってきた。嘘偽りや綺麗事、過大な期待も保身もない生身の感情。
もしかしたらカトルとのそれはエンパス能力というより二者間の共鳴なのかもしれない。ならばゼロについてのあの仮定は………。
思考は堂々巡りで辿り着く先はどこにも見えない。
だが足は自然と自室へ向かっていた。
カトルが待っている。ヒイロはそれをはっきりと感じていた。
「え〜っ？ マジかよ」
薄暗い廊下にけたたましい声が響き渡る。
カトルの低い声も聞こえるが、何を言っているかは聞き取れない。
「それじゃあお前もゼロに乗ったことがあるのか。で俺だろ、トロワだろ、五飛も確かそんなこと言ってたし、つまり五人全員があれに乗ったわけだ。
で、乗りこなせるのはヒイロだけ？ すげえな、あいつ。凄すぎるぜ」
大袈裟に頷いてみせたデュオは、傍らにヒイロが立っているのに気付いてぎょっとする。
「だから何だ？」
「何だと言われても…」
ヒイロが睨みつけるのをものともせず、デュオは無造作にカトルの肩を抱いた。
「あれに乗り続けているうちにみえてくる奇妙な幻のことだよ。どんなに振り切ろうとしても惑わされ、真っ当な精神状態じゃいられなくなる。
どうやったらあれを乗りこなせるのか、俺には見当もつかないぜ」
「それがどうした？」
「どう…って…ちぇっ、何だよ怖い顔して。俺はただ…」
「いいんだよ、ヒイロ。気を遣ってくれなくて」
自嘲気味に嗤うカトルの様子にただならぬものを感じたのか、デュオは躊躇いながら手を離す。
「カトル、お前一体……」
深く息を吸い込んだカトルは、緊張で強ばらせた頬をそのままにデュオを見つめた。
「デュオ。僕は君に好意を持ってもらう資格はない。トロワの記憶喪失は僕のせいだ。
父をＯＺに殺され逆上した僕は、宇宙の全ての武器を破壊しようと工場に残されていた図面からゼロを造った。
あのバスターライフルが尋常ではない破壊力をもっているのを承知のうえでね。そして資源衛星やコロニーを落とし、ヒイロを殺そうとした。
トロワはそんな僕を止めようとして宇宙に投げ出されたんだ」
「噂は聞いたことがある。正体不明のモビルスーツがどこかのコロニーを一撃で沈めたという。あれはお前が？ そしてあの化物を造ったのもお前なのか」
デュオは落ち着きなく二人の顔を交互に見比べ、その真摯な表情にどうやら本当らしいと判断して口を噤む。
「ずっと心配をかけてたみたいだけど、つまりはそういうことなんだ。いつかは話さなくちゃと思ってた」
「それが以前ウィナー家のビルで言ってた過ちってやつか。にしては、ずいぶん悟ってるようだけど」
「充分すぎるくらい泣いたり落ち込んだりしたからね。所詮自分はその程度だってわかってしまうと、これからが見えてくる」
丸い目をますます丸くして、デュオは小さく口笛を吹いた。
「こりゃまた上出来なお答えだ。ならいいんじゃないの？ 資格だの何だのと面倒な事言わなくたって。誰にだって過ちの一つや二つはある。
それに俺はもちろんのこと、こいつやトロワだってちゃんと自分で決めてやりたいようにやってきたんだから、余計な気を回す必要はないと思うぜ。な、ヒイロ」
同意を求める視線に、ヒイロは不承不承頷く。
「よしっ！ この件は終わりだ終わりっ！」
デュオはくるりと踵を返し、大きく手を振った。
「じゃあな、あんまり考えすぎるなよ、カトル。ヒイロもたまにはこいつに説教の一つもかましてやれ。甘やかしすぎなんだよ。まったく、お前らは……」
揺れる三つ編みが角をまがり視界から消えても、独り言めいた愚痴はまだ聞こえてくる。
呆気に取られたように立ち尽くすカトルを、ヒイロは部屋へ入るように促した。
「相変わらずだね、彼は」
「煩すぎる」
「それは言いすぎだよ、ヒイロ」
くすりと笑って、カトルは扉の前で立ち止まる。
「かなわないなあ、デュオには」
「そうか？」
「トロワも言ってた。そうしたいと思ったことをしただけだって。僕は謝るよりさきに、ありがとうをいわなきゃいけなかったんだ」
そう言って踵を返そうとする瞬間、カトルの頬に濃い影が落ちる。
笑顔と二重映しになる潤んだ瞳の意味するものに気付いたとき、ヒイロの予感は次第に確信へと変わっていった。
「カトル、もうやめろ」
「……え？」
ヒイロはカトルの頬から顎にかけて静かに指を滑らせる。
「ずっと奥歯を噛み締め続けて、それはお前の癖なのか？」
触れられた場所にそっと手を当て、カトルは困惑の表情を浮かべる。
「無理なんて…僕は」
「ならば何故、俺を呼び続ける」
「ヒイロ。それって！」
「何故俺を呼んだ？」
「どうして？ 君はまだ…」
揺れる瞳が同調の有無を尋ねている。だがヒイロはそれには応えずさらに問い掛けた。
「お前は一体俺に何を求める？」
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