「みっともないところ、見せちゃったね」

窓の外を眺めながら、カトルは小さく溜め息をつく。

「まだまだ僕は半人前だ。精神的に弱すぎるのかな」

そんなことはない、お前は十分やっているじゃないか。
喉元まででかかった言葉をぐっと飲み込む。
カトル自身が不満に思っているのだから、俺の言葉は何の慰めにもならない。
だけどさっき新聞を読んだ限りでは、カトルの仕事ぶりに少しも遜色はないように思えたのだけれど…。

「なあ、カトル。お前、自分に対して要求水準が高すぎやしないか？　もっと気楽にいけよ。
これからずっとその仕事が続くんだ、全力疾走していたら息切れしちまうぞ」

「その調整ができないんだよ。…駄目なんだ」

唇だけで笑みを作り、カトルは目を伏せる。
滅多に吐かない弱音を口に出すところを見ると、俺は歓迎されていないわけではないらしい。
ベッドサイドに手近な椅子を運び、腰を下ろす。
とりあえず全部吐き出させてしまわなくちゃと、俺にしては珍しく聞き役に回ることにした。

「で、何があった？」
「何って？」
「お前の姉さんから聞いたぜ。ええっと…そう、イリアさん。お前が寝る間も惜しんでピアノに向かっているって」
「姉さんが？」
「ああ、仕事仲間が体調を崩してさ。たまたま立ち寄った診療所で出会ったんだ。
　お前の様子がおかしいからって言われて、それで俺は…」
「そう、イリア姉さんに頼まれて…」

カトルは大きく息を吸い込んだ。

「そうなんだよね。いつだって皆、僕を大切にしてくれる。それはちゃんとわかってるんだ。
仕事だってそう。つい何から何まで自分でやろうとしてしまう僕を、うまく舵取りしてくれる有能な部下も揃ってる。なのに、なのに僕は…」

ようやく二人の視線がぶつかる。
カトルは今にも泣き出しそうに頬を歪め、言葉を継いだ。

「僕は、耐えられなかったんだ」

え……？　耐えられないってそれは、当主を務める事が…なのだろうか。



だったらさっさと当主なんて辞めちまえ。そして二人で暮らそう。
たとえ恋人同士にはなれなくても、俺たちは同性だ。一緒に暮らすのに何の問題もない。
でも、一つ屋根の下で暮らして俺の理性がもつかどうかか。そしてカトルに嫌われて…！？
う〜ん、それはちょっとまずいかも。それに、それに……。
不穏な考えが次々と頭に浮かぶ。

ええい、そういう意味じゃないってば。カトルがそんなに簡単に仕事を投げ出してしまうとはとても思えない。
俺はぎゅっと目を閉じると大きく首を振った。

「どうし…たの……？　デュオ」

その間おそらく一秒半。よっぽど俺、おかしな顔をしていたんだろうか。
不思議そうに見返してくるカトルの瞳に、ほんの少しだけど明るさが戻っている。

「いや、ちょっとね。俺のボンノーが」
「煩悩？」

瓢箪から駒…かな？　目を丸くしたカトルは、やっとリラックスした表情を見せた。

「ああ、なんでもないって。少し思考回路が狂っちまっただけだ。な、カトル。あんまり考え込むなよ」

そう声をかけると、俺は立ち上がって一歩踏み出し、ベッドに座ったままのカトルをそっと抱き寄せた。

「おまえの匂い、ひさしぶりだ。もっと早く会いに来れば良かったな」

そういい終わると、頬に軽くキスをおとす。
これもL−２の習慣だとは話してあったけれど、別の気持ちがこめられているなんてもちろんカトルは知る筈もない。

「うん、僕も…会いたかった」

ぎゅっとしがみつくように俺を抱き返してくる。
こんなに積極的なカトルは初めてで、俺の理性は臨界点ぎりぎりまで沸き立っていた。

「本当に皆、良くしてくれているんだ。だからこそ未熟な僕でも何とか当主の仕事をこなすことが出来る。
姉さんたちも僕のことを凄く心配していろいろ気遣ってくれて。そう、今回のイリア姉さんみたいにね」

だから会いに来てくれたんでしょう？　そうカトルが言ったような気がして、僕は思わず回した腕に力をこめた。

「それなのに、僕は耐えられなかった。たった一つの望みがかなえられない。ただそれだけで…」

望みって一体？　まさかそれは…。

「僕はね、デュオ。君に会いたくて会いたくてたまらなかったんだ…」





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