LOVE　SWEET　LOVE 　　

　

　今夜で三度目。彼は、午後八時に車で迎えに来ると約束した。
　夜に待ち合わせる。それが、どういう意味をもつかを、今の僕はすっかり理解している。
　いかにも慣れた様子で僕を抱いた彼の過去に、何があったのか。それを考える度、ため息が出てしまうけれど。
　自分は何も知らなくて、何もかもが初めてだったというのに。
　これはただのつまらない嫉妬だと何度も言い聞かせたところで、苛立つばかりだ。
　彼の気持ちを疑っているわけではない。どれだけ僕のことを想ってくれているか、初めてのあの日に、痛い程感じることができたのだから。
　それでも、どうしても……。
　未だ消えないままでいる胸元の痣を、そっとシャツのうえから押さえながら目を閉じる。
（早く来て、デュオ。これ以上不安になる前に）
　部屋で彼のコールを待っていてもよかったのだけれど、待ちきれない僕は、正面玄関まで降りた。
　こんなにも、会いたくてたまらないのに。約束の時間より早かったり遅れたりと、さっぱり予測のつかない彼の行動に、一喜一憂してしまう自分が情けない。
　もっと、もっと、確かな証が欲しい。彼に愛されているという実感が欲しい。いったいどうすればいいのだろう。
　こんな不安なんて、君の傍にいればすべて消えてしまうのに、彼が来るはずの方向に、視線が向けられない。

　約束の時間を、二分過ぎた。いつまでたっても、彼を見付けられなかったら…。もし、急な用事でこられなくなったとしたら、僕のこの気持ちは、どんなになってしまうのだろう。目蓋が熱をもってきた。涙が溢れてくるのがわかる。
　もうすぐ五分。まだ五分過ぎただけなのに、僕はたったそれだけが待てない。
（会いたいよ、デュオ。会いたい…）
　車が止まる音が聞こえ、足音が近付いてくる。間違いはずなのだけれど、もしも違ったら…と思うと、臆病な僕は、振り返れない。
「おいおい。俺、なんかすっげえ遅刻をしたみたいじゃねえか。なんだよ、拗ねてんのか？　おいっ、カトル」
　賑やかな彼の声に、慌てて涙を拭き、笑顔で迎える。
　そうだよね。連絡もなしに遅れる訳がないのだけれど。　
「ふうん…」
「な、何？」
　いかにも嬉しそう…な表情に、ドキドキしてしまう。
「やっぱり似合うな、それ。俺が見立てただけのことはある」
　普段の服装があまりに堅苦しいからと彼にプレゼントされた、グリーンのチェックのパーカー。滅多にはかないジーンズにそれを羽織れば、ちっとも『当主のカトル』らしくない。ちょっとした変装気分。
　似合うのかどうか僕にはわからなかったけれど、本当かな。なんだか少し照れ臭い。
「ほら、早く乗れよ。あんまり人目に付かない方がいいだろう」
「あ、うん」
　促されてあわててシートに腰を下ろす。
　普及型のふたり乗りの小型エレカは、呆れるくらい無個性で何も付いていない。これってやっぱり、僕の為にここでレンタルしたんだろうか。
「夕飯、食ったか？」
「一応ね。でも、ビジネスディナーだったから、あんまり食べた気がしない」
「ＯＫ。じゃあまず、軽くなんか食おう。何がいいか？」
「えっと…。サニーデイのチキンサンド。ミルクティーつきで」
「あ、それいいな。俺は、コーラとカツサンドにしようっと。テイクアウトでいいか？」
　心臓が、ドクンと音をたてた気がした。このまま行くんだ。彼の泊まっている、ホテルへ。
「う…ん、まかせるよ」
　まずいっ。絶対赤くなってる。
　思いっきりあせっている僕だけれど、彼は余裕たっぷりって感じで運転を始めた。…何だか悔しい。
　急に無口になってしまった僕に気を使ったのか、カーラジオのスイッチが入った。ハスキーな女性ボーカルの声が、低く流れ出す。
　滅多に会えない恋人への、切ない想いを歌っている。僕って、まるでこの歌の女の人みたいだ。何だか複雑な気分。
　同性で愛し合うことの苦さをなるべく考えない様にしてきたけれど。待っていた時の不安は、そのせいなんだろうか。
「なあ、さっきお前…」
　言い淀む彼の声で、我に返る。
「お前、泣いていただろう？　何か有ったのか？」
　珍しく曇った表情。やっぱりばれていたんだ。
　何かって、どんなことを想像しているんだろう。正直に言わなくちゃ、ますます心配させてしまうんだろうな。
「笑わないでいてくれる？」
「ああ」
「僕は…たった五分が待てなかったんだ。もし、君が来なかったらどうしようなんて考えてしまうと」
　彼は大きく目を見開き、運転をオートに切り替えると僕を抱き寄せた。
「馬鹿だな、カトル。俺は何よりもお前優先。決まってるだろう？」
　甘く優しい声で、そう囁く。それだけで、僕はもう泣きたいくらいに幸せだ。
　そうだよね。優先できないのは僕のほう。彼は僕の仕事の都合に合わせて、いつもスケジュールを調整してくれているというのに。　どうして一瞬でも、疑ってしまったのだろう。
「ほれ、着いた。行くぞ、カトル」
　自分の言葉にすこしばかり照れている彼の笑顔に、大きく頷く。
「テイクアウトだよ、デュオ」
　早く二人きりになりたい。

　

　

　シンプルでそっけないホテルの部屋も、彼がいるだけでやすらぎの空間となる。
　会えなかった六日間の空白を埋めるように、僕達はふざけ、笑い、そして話し続けた。
　テイクアウトのサンドイッチだって、何よりの御馳走。彼は本当によく食べる。僕よりもずっとお喋りしているのに、僕の倍くらい食べたような気がする。
「あー、食った食った。それじゃあ、シャワーでも浴びてくるか。お先、カトル」
　急に静かになって、何だか落ち着かない気分になる。バスルームから水音と共に彼の鼻歌が聞こえてきた。
　僕は、デザートにと彼が買ったプリンの最後の一口をやっとお腹に収めて、紅茶を飲み干した。
　食べ過ぎで少し苦しい。あんなに食べるなんて、一体どんなお腹をしているんだろう？
　ごそごそと箱や紙コップを片付けていると、ひょいと彼が顔を出した。お下げを頭の後でまとめて黄色のバンダナで止めている。
　顔だけ見てると何だか女の子みたいで、すごく可愛いから不思議だ。
「食い終わったんなら来いよ、カトル。洗ってやるから」
　あっけらかんとした本気とも冗談ともとれる誘いに、僕は戸惑う。
「う…ん、出がけに浴びてきたからいい」
「そっかあ？　つまんねえの」
　そう言われて、また僕の心臓がドクンと音をたてた。
　誰かと比べているわけじゃない…よね。僕がこんなにも嫉妬深いなんて、思っても見なかった。
　少し汗ばんでいる気もするけど、どうしよう。
　歯を磨きながら考えてみる。
　そうしているうちに、バスタオルを巻き付けた格好で、彼が出てきた。慌てて歯ブラシを片付けている僕を見て、ぷっと吹き出す。
「なにしてんだ？　お前は」
「だって…」
　だって、キスする時にプリンの味とかしたら、まずいじゃないか。
　さすがに言葉にできないでいると、彼はお見通しといったふうに、僕の顎に指を掛けると唇を重ねてきた。いきなりぬめっとした感触がしたかと思うと、すぐに離れる。
「ん、合格。お前の味しかしない」
「もうっ…」
　完全に彼のペースだ。まるっきり子供扱いなんだから。
「やっぱりシャワー、浴びてくる」
　裸の彼と、服を着たままの僕と。何だか居心地が悪くて、僕はバスルームに逃げこんだ。

　　　　>>２